このたからもの!

3月2日(水)晴れ

「何時まで起きているのだ、このたからもの!」

「なんでそんなことしている、このたからもの!」

(祖父は)必ず最後に「宝物」とつけていた。

「怒っているのに宝物?不思議でした。今から思えば、叱るけれど大事な子だからね、宝物なんだからこんなことやめなさい、と言いたかたんでしょうね」

 

絵本作家「いせひでこさん」のエッセイが今日(24日)夕刊に載っていました。

(いいねー、いいねー、こんな𠮟り方っていいですねー)

叱ることも、叱られることも、無くなってしまった日常です。

現職の時に、こんな叱り方に出会っていたら良かったのになあー。

「叱られる=愛されていること」と自覚させられただろうに。

反対に「叱られる=人間性否定」だったのでは?

子供の時に怒られた時も、最後に「・・・このたからも」と付け加えてもらったら、落ち込むことも反抗心も和らいでいただろうに。

 

・・・苦労の底でも「自分を大事にしなければ、誰かを大事にできない、いい絵を描けない」と、自分を肯定する道を選んできた。

・・・「悲しみも含めて生きるすべてを肯定する」・・・。生を肯定するのは、自分は宝物だと信じられるからだ。

 

もっと早く、現職の時に出会っていればと思えると同時に、人生の後半に「・・・このたからもの」という言葉に出会えたのはラッキー。

何だか元気が出てきます。

叱ったこと、叱られた場面が思い出しました。

生を肯定するのは、自分は宝物だと信じられるからだ。

「なまけものが、またさぼっているのか、このたからものが」

「言い訳してブログ更新なまけているのか、このたからものが」(笑い)