逆らえないような空気

6月9日(木)曇り

蒸し暑い、『夏』といった一日でした。

いつもは爽やかな海岸通りなのに、今朝はラジオ体操前の散歩だけで汗がジンワリ。

ラジオ体操終了後は背中に額に汗です。

 

沖縄復帰50周年が新聞・テレビで話題になっています。

ロシアのウクライナ侵攻のニュースを見るたびに先日の新聞記事が思い出されます。

 

 1945年6月22日。

 米軍に追われて沖縄本島南部を転々としたあげく、糸満市のマヤーアブ壕に身を潜めて4日目だった。

「手をあげて出てきてください」。壕の外から、投降を呼びかける米軍の拡声機の声が聞こえてきた。

 前日まで、外は砲弾が降り注いでいた。一歩も出られず、じっとしていた。(略)

 県立第一高等女学校に通う15歳だった。3月下旬の米軍上陸前に、家族は本島北部へ避難したのに「戦いから逃げていいのか」と従軍を志願した。(略)

最終的には招集された240人余りのうち約200人が死んだ。(略)

もう勝てないことは明らかなのに、なぜ戦い続けるのかわからなくなった。それでも隊の人たちは徹底抗戦を唱えて出撃し、帰ってこない。誰にも「早く降参して」と言えず、一人で泣いた。(略)

足の踏み場もないほど死体が重なる川。爆弾で吹き飛ばされた体の一部がぶら下がる木。死が当り前の世界で、「生きる」という言葉が残された。(略)

暗闇の向こうに光が見えた。そちらへ進む。見上げると、兵士が手を差し伸べている。不安はある。でも生きたい。その手をつかんだ。

あれから77年。

翁長さんの目には、ウクライナの戦争が、沖縄戦と重なって見える。住民を巻き込んでの戦闘。国を守るという大義。それに逆らえないような空気。

しかし自分がそうであったように、生きたいと願っている人は、兵士にも住民にも必ずいる、と思う。(略)

 

「戦いから逃げていいのか」「国を守るという大義に逆らえないような空気」がロシアにもウクライナにも漂っているような感じがします。

「地球よりも重い命」のはずなのに「国よりも個人が優先される」はずなのに、戦争になってしまうと何もかも絵に描いた餅のようです。

悲しいです。