じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2012年05月

5月18日(金)曇り一時雨イメージ 1
       もうすぐキュウリが食べられそうです

キュウリの実がなりました。
6本の苗がある。1本だけ元気が良い。
黄色い花をたくさん咲かせ、小さな実をつける。
生長の早いこの苗は他の苗と品種が違ったのかな?
他の苗は、やっと花を咲かせた程度なのに、この苗だけは生長著しい。
購入してきた時は大きさも同じくらいのキュウリ苗だったのに、こんなに違ってきた。
やっぱり、遺伝子のせい?
「失礼な。一生懸命がんばっているのだ」とキュウリが言いそうだ。
生長が早いということは、枯れるのも早いのかな?
それぞれのキュウリの生長が気になる。
昨年購入した「はじめての野菜づくり」の本を読む。
「一番果は小さいうちにとり、2番目から収穫」とあるではないか。
こんなに大きくしてしまったので間引きはせず、収穫果にするつもり。
生長が速いので、明日あたり収穫しよう。
 
レタスも元気が良い。イメージ 2
1個、溶けてしまったので心配したが他は元気。
石ころの畑なのに、ずいぶん頑張っている。
結球し始めた。
わが家の畑では、レタスはニューフェイス。
これだけできれば十分十分。
「はじめての野菜づくり」を読むと「酸性土とやせ地を嫌うので、苦土石灰をまいて耕す」と書かれていた。
成功の原因は苦土石灰をまいたせいだろう。
肥料は石ころだらけのやせた地なのに、よく頑張っている。
もうすぐ食べられそう。
 

 

     5月17日(木)晴れ
          自然と言葉に癒されるイメージ 1
新しい環境に適応できず身体や心が不調におちいる症状を「五月病」と呼ぶ。
5月の野山は美しい。きょうも出かけたが、あまりに美しいので写真におさめてきた。眺めていると心が癒される。5月の野山が美しいのは、五月病を癒すための神様の演出だと思う。人はこの5月の自然をもっともっと堪能しなくてならないのだろう。こんなことが言えるのも今の私には自然を堪能する時間的余裕があるからだ。現役で働いているときは、仕事に追われそんな余裕がなかった。現役で働いている皆さん、もっと5月の自然を堪能してくだい。間違いなく癒されます。
 「自然の癒し」とともに「言葉の癒し」もある。言葉の癒しというと20数年前を思い出す。
 
       あんとんねえ
 「校長先生すみません。・・・きょう締め切りの文書を忘れてきました」
「忘れたか」
「すみません。本当にもうしわけありません」
繰り返し謝る。昨日「忘れないように」と言われたのに忘れてしまった。私が提出しないばかりに校長に迷惑をかけるのではと、恐縮する。
 楽天家の私も落ち込んでしまう。そんな落ち込んだ態度が校長に伝わったのだろうか。
「忘れても、あんとんねえ。明日でだいじょうぶだ。あんとんねえ、あんとんねえ・・・」
と校長は慰めともいたわりともつかない「あんとんねえ」をくりかえしてくださった。
 校長に申し訳ないという気が起きるとともに、失敗した自分にますます嫌気がさしてくる。多くの上司は
「いつも忘れ物をしてだめな奴だ。おまえのおかげで他の人が迷惑しているんだぞ。こんなかんたんな約束を守れないから何をやってもだめなんだ・・・」
と人間性を否定するような言葉で注意する。すると
「おまえだって、忘れ物する時あるだろう。何もそんなに怒らなくても」
と反発したくなるものだ。しかし、この校長先生はふさぎ込んでいる私の気持ちを察してか「あんとんねえ、あんとんねえ」を繰り返してくださった。そんな時、「今度は忘れまい。校長に迷惑をかけてはいけない」と、強く思った。
 忘れ物だけでない。様々な場面で失敗した。部活動で子どもが怪我をしてしまったときも、
「あんとんね、あんとんねえ。部活動に怪我はつきものだ。大事なのは、後の対処の仕方だ。保護者に連絡し、すぐに病院に連れていくことが大事だ・・・。あんとんねえ、あんとんねえ・・・」
と、落ち込んでいるとおっしゃってくださった。
 校長は退職された。時々お会いする機会がある。お顔を拝見するたびに
「あんとんねえ、あんとんねえ」
とおおらかならかな声が聞こえてくるようだ。上司というと緊張するものだが、この人といると実に心安らぐ。「癒し」という言葉が流行しているが正に「癒し系」の人だ。心の温かい人、心の広い人とはこんな人をいうのだろう。
                                     斉藤弥四郎   『房総ふるさと言葉』図書刊行会 より

約20数年前に仕えた校長さんが今年「傘寿」を迎えられた。久々にお会いした。
「校長先生にお会いするとアントンネエを思い出します。本当にありがとうございました」
と言うと「あの言葉は私も若いときに先輩の先生から言われた言葉だ。・・・あの言葉は先生方にやる気を出させるよな。個性的な教師が多かったよな・・・みんな一生懸命実戦してたよなー」と遠い昔を懐かしむようにおっしゃれた。私たち若い教員の失敗にヒヤヒヤされたに違いない。それでも、「責任は俺がとるから思うようにやれよ・・・」という心がアントンネエにはこもっていた。
「言葉で人は育つ」を実感した。アントンネエは次の世代に伝えたい言葉だ。
 
*「夷隅民話の会」は更新しないですか?の質問を受けました。
新たに「夷隅民話の会」というブログを作成しました。「夷隅民話の会のブログ」で検索してください。
 
 
 

     5月16日(水)晴れ
          良いお湿りですねイメージ 1
夜ふけすぎに雨が止んで今朝は晴れ。
いつものように朝のラジオ体操に行く。
途中で農業をされているSさんに出あう。
「おはようございます」
「おはようございます。良いお湿りですね」
「は、はい。そうですね。・・・良いお湿りですね」
テレビや本の中では目にし耳にするあいさつ言葉だが、面と向かって言われたのは生まれて初めて。
「昨日の雨は農作物にとって良い雨でしたね」ということだろう。
この言葉をかけてくださったということは、私は農業をする一員と認められた証拠かだろうか。
おもわず、口元がゆるんでしまう。
「良いお湿りでしたか?」「良いお湿りでしたね」と話しかけながら作物たちを見て回る。イメージ 2
雨に洗われた姿は気持ち良さそうだ。光っている。
        景色も気候もハワイだ
今日の気温は27度、夏日。
昼の散歩はカメラを持って海岸コースへ。
青い空と海、白い波。
きょうは浜辺の砂がやけに白く感じる。
人が少ないせいだろうか。
白い砂が目立つ。
椰子の木(上部の茶色の葉っぱが痛々しいが)の並ぶ海岸通りは、ハワイだ。
夏の蒸し暑さもまだない。
乾燥した海辺の風が気持ち良い。
上半身裸もちらほら見える。
今日の御宿は景色も気候もハワイだ。
 
 

   5月15日(火)イメージ 1 くもりのち雨
       カエルの鳴く小川
家の前に小川が流れている。
毎朝ラジオ体操や散歩に行く時、小川に沿って歩く。
大雨になると水量を増すが、日頃は小学生がザリガニとりをするような小川だ。
板橋のかかる情趣ある小川だ。
残念なのは生活排水が流れ込んで、最近汚れていることだ。
このところ、この小川でカエルが盛んに鳴いている。
声を表記するなら
ゲロ ゲロ(やや間)、ゲロ ゲロ(やや間)、ゲロ ゲロ(やや間)・・・かな。イメージ 2
カエルの種類はわからない。(いつものことながら虫・植物・動物の名前を知らないのを痛感)
そんな時はインターネット。カエルの鳴き声まで検索できる。便利だ。
検索しても区別がつかない。
私の耳では「トノサマガエル」か「トウキョウダルマガエル」に似ている。
ブログが堪能なら、カエルの声をこの画面に載せることもできる技があるのだろうが、今の私にはできない。
カエルの声、鳥の声・・・目に青葉。のどかな風景だ。
昔は画家や文人の別荘がこのあたるにたくさんあったという。
 
ここから童謡「月の沙漠」のラクダ像が建つ網代湾までは徒歩3分。
写真上 手前の家は童謡「月の沙漠」を作詞した「加藤まさを」が晩年を過ごした家。
写真下 左手の建物は「月の沙漠記念館」。右手奥かすかに見える黒点は「月の沙漠ラクダ像」。
このあたりは文学の香りも漂う。
ゲロ ゲロ(やや間)、ゲロ ゲロ(やや間)、ゲロ ゲロ(やや間)・・・
 
 
 
 

          5月14日(月)晴れ
                農業の喜び~発芽のとき~
農業は楽しい。
暖かい陽ざしを浴びながら土を耕すのは気持ち良い。イメージ 1
耕して畝ができあがり、タネをまいたり、苗を植え終わった瞬間は達成感がある。
作物がぐんぐん生長する姿を見るのも楽しみだ。
収穫の時も成就感がある。
・・・しかし、何と言っても一番嬉しいときは発芽のときだ。
タネをまいて、毎日「はやく芽を出せ」とばかりに水をる。
この頃の水やりは朝と夕方の2回。
やがて土の中からかすかな緑が頭をもちあげる。
小さな緑が2日、3日・・・と大きくなる。
 
2・3日前に芽を出した枝豆が伸びてきた。
この瞬間が農業で一番うれしい瞬間だ。
ポットにタネをまいた。
なぜなら、地面に直接まいたら鳥たちに食べられてしまったからだ。
「失敗はくり返さない。一度学習した体験は生かす」
そんな人生を送りたいから。(でも現実は失敗の連続だ)
今日は暑かった、晩酌のビールが楽しみだ。
人生の後半で農業の喜びを知ったのは幸せだ。
 

↑このページのトップヘ