じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2012年06月

     6月25日(月)くもり
        もう言わせません、「買った方が安い」なんてイメージ 1
菜園愛好家(私)が、一番言われたくない言葉は何だと思う?
そう、あの言葉、
「そんなにお金かけるなら、買った方が安いよ」である。
菜園愛好家にとって、これはタブーなのだ。
それなのに、平然と言ってくる、御仁が時々いる。
そのたびに
「お金じゃなないよ。
土と触れる、これが大事なんだ。
自然の中で汗をかく、これが爽快なんだ・・・大事なんだ」と言う。
「そうかねー、金と時間かけて・・・」と、不信顔。
「何と俗な考えを・・・もっと、自然を愛する崇高な考えを持たなくては」
と言い返す。
でも内心は(買った方がやすいよなー)と思う。
でも、それは言えない。(言わない)
「タネや苗、堆肥、肥料、クワやスコップの農機具の代金入れたら、キュウリ1本いくらになる?」イメージ 2
「お金じゃないんだよ・・・新鮮さが違うよ。取り立てはスーパーの野菜と全然違うんだ」
「そうかねー・・・。
スーパーの方が美味しいよ。
トマトなんか品種改良されて、スーパーの方が甘くておいしいよ。
それに、家庭菜園はキャベツとかレタスにミミズやダンゴムシが入っていたり・・・。
あれって、調理する人は気持ち悪いし、大変よ・・・」
「美味しいから虫がつくんだよ。
ミミズやダンゴムシや虫は消毒してない証拠だよ。
消毒した野菜ばかり食べているとどうなると思う・・・体に科学物質が蓄積して気がついたときには・・・」
なんて反論する。
でもやっぱり内心はミミズ、ダンゴムシ、アオムシ・・・確かに気持ち悪いと思う。
「金と時間と労力をかけて食べてもらえない・・・菜園愛好家は悲しいよな・・・」
おいおい、そこまで言うか?
 
お金の件を少し解決してくれる方法を教えてもらった。
トマトのわき芽を「挿し木」すると根が出てくるという。
これなら苗代はかからない。
トマトの苗は1本100円から品種改良された種類は250円はする。
今年はトマトわき芽を「挿し木」にしてきた。
それが根付いてきたので、今日、植えた。
竹で支柱を作って10本植えた。
これが実ったら、「菜園はお金がかかる、買った方が安いよ」とはもう言わせない。
美味しいトマトができますように。 
 

         6月24日(日)くもり
        発見:散歩コースは「手づくり郷土賞」    
     
 
発見しました。イメージ 1
毎日、散歩コースにしている海岸道路。イメージ 2
美しい、素敵な散歩コースと思っていたら、そう思っていたのは私だけではなかったようです。
今日、気がつきました。
「手づくり郷土賞」という賞を受賞していました。
写真を見ながら文字を書いてみます。
                                                                                         
           
 
      ○3○○                                                              
  手づくり郷土賞                                                                  
      建設大臣大塚雄司○                                                           
         ○設部門                                                                           イメージ 3
    千葉県 御宿町                                                                   
          平成三年七月                                                                      
   寄贈 (社)関東建設弘済会    
                                                   
      ○印は私には文字がわかりません
 
加藤まさを像のレリーフ、加藤まさをの詩碑もある、楽しめました。
道路に名前がついているのか聞いてみました。
「海岸通り」
と呼んでいる人が多いようです。
名前は特別ついていないようです。
もし、あなたが命名するとしたらどんな名前をつけますか?
「月の沙漠通り」
「加藤まさを通り」
「まさを通り」
「ラクダ通り」
「網代湾通り」
「沙漠通り」
などがありました。
 
 



   6月23日(土)くもり
         民話発表会リベンジ
民話に興味を持つ同志が集まり「夷隅民話の会」というサークルを作っている。
イメージ 1
活動は次の4項目。
1,機関紙「夷隅むかしむかし」の発行  6月現在124号
2,民話冊子の発行 6月現在 8冊発行
3,民話発表会   今年度初
4,民話さんぽ   今年度1回終了(5月)
今日は「民話発表会」。
場所は「大多喜特別養護老人ホーム」。
ここで発表させてもらうのは昨年に続いて2度目。
 今回は昨年のリベンジ?
というのは、昨年の発表会で失敗しているからだ。                      
昨年、当日リハーサルをして、「さあ開始」というときにプロジェクターが故障。
プロジェクターの電光が切れて、スクリーン画面が真っ赤になり、映像がはっきりみえないというハプニングが勃発。
皆さんには、ぼやけた画面で視聴してもらうという失礼なことをしまった。
昨年の発表が不本意たので、今日は「昨年のリベンジ」という訳だ。
 
民話の会の行事は雨にたたられるが、今日はくもり。イメージ 2
午後1時集合。
会場は日頃食堂に使う大きな部屋。
プロジェクター、スクリーン、マイクをセットし、テーブルをかたして準備完了。
つづいて、リハーサル。
 
全文読みは省略し、場面の変わるところを確認する。
読み手が読み進めて、場面が変わるときにパソコン係に小さく手を挙げて合図をおくる。
パソコン係はそれを確認して、次の場面の絵をスクリーンに提示するという連携プレイ。
予定通り2時開始。
演目は次の8つ。
1,歌「桃太郎」
2,もうれんやっさ(いすみ市)
3,曼珠沙華寺(大多喜町)
4,歌「浦島太郎」
5,デェデッポ(御宿町)
6,くし浜の由来(勝浦市)
7,もんざぶろうキツネ(いすみ市)
8,歌「金太郎」
イメージ 3話の間に歌を入れる試み、正解だった。
だれもが幼いときに唱った歌。
手拍子が入り会場全員に一体感が生まれた。
歌係がマイクを近づけると積極的に唱ってくださった。
知っているものを出し物に取り入れることは、視聴者を能動的にさせる。
読み手とパソコン係の連携も、完璧とまではいかないが、何とかうまくいった。
スクリーンに映し出す絵も、途中で中断することなく終了する。
昨年のリベンジが果たせた。
これが達成感・成就感というものだろうか。
他人が見れば些細なことだろうが、うれしかった。
 
 

    6月22日(金)雨
      『岩瀬貞之写真集・海女の群像』
小説や詩のような文字で表現された本も好きだが、最近写真を見る機会に恵まれて写真に惹かれるようになってきた。
『岩瀬貞之写真集・海女の群像』は心惹かれる写真集の一冊だ。
海女や漁師の働く姿が力強い。イメージ 1
しばし見入ってしまう。
何度見ても心動かされる作品だ。
芸術作品であると同時に、ひと昔まえの御宿町を伝えてくれる貴重な資料だ。
今日、観光の町として全国に知られているが、昔は半農半漁の町であったという。
『岩瀬貞之写真集・海女の群像』あとがきが写真の補足をしてくれる。
 
(略)
私の住んでいる外房御宿の町が昔はまったく半農半漁の村で
ことに漁業の面では、男は朝早くから海へ出て
アグリ網やエビ網などを操て生業とし
女は海女として海に潜りアワビやサザエや海草類をとって
生計の基礎としていたのだが、そうした生活の態様が
やがて私の心をふかく捉えないではおかなかった。
ことに海女たちの素朴で、かつ原始的ともいえる
生命力にあふれた肉体美とその仕事振りは
私の写真のモチーフとしてかっこうの対象になったといえよう。
大体彼女らの一日の生活パターンは決まっていて
朝早くから夕方まで、ときに潮の干満による差異はあっても
十数人が一グループとなって舟に乗り、沿岸を潜って
獲物がいっぱいになると、岸に戻ってはそれらを整理し
やがて薪を焚いて暖をとり、五合の飯を平らげながら
雑談にふけるのだった。このときが彼女らにとって
なによりの憩いの天国といえよう。
こうした作業を一日三、四回繰りかえし、やがて
夕暮れとともに家路につくのである。  (略)
                        『岩瀬貞之写真集・海女の群像』より
 

    6月21日(木)くもり時々雨
           エネルギーは感染動機
「海の家」が建った。
建物ができ、これからは7月14日の海開きに備えて、内装の準備だという。
このところ毎年海水浴客が減少している、特に昨年は震災の影響で激減。
今年は多く入って欲しいものだ。
イメージ 1
今日は今年初めての「若い先生方の研修」でM中学校へ。
教育技術、授業技術を向上させるにはどうするか?
教員の使命とも言うべき命題を、ベテランの先生の授業を見て学ぶというのがねらい。
授業技術というと、学習問題の作り方、資料・教具の作り方、質問、板書、机間指導、ノート指導・・・に目が行ってしまう。
数年前から、「人が学ぶ意欲を起こさせるものは何か?」考えるようになった。
そんな疑問に答えてくれた人がいた。
 人が勉強するための意欲を得るための源泉には3つある。
1、「競争動機」(勝つ喜び)、テストで良い点を取りたい、よりいい高校・大学に行きたい。
2、「理解動機」(わかる喜び、できる喜び)、覚えた漢字やことばで手紙を書く、鉄棒で逆上がりができる。
そうだ、自分自身の勉強も、子ども達への意欲付けも突き詰めればこの2つだった。
テスト結果をグラフ化し競争する、高校入試のためという他人との競争が勉強の動機であり意欲となっていた。
「楽しいわかる授業の創造」は研究・研修テーマとして取り上げ、教師の使命としてきた。
ところが数年前に社会学者の宮台信司教授の「感染動機」論にビックリ、感激。
3、「感染動機」、自分もこんな人になってみたいというあこがれ。
 「数ある動機の中でも、最も強い動機付けは自分の尊敬する人・あこがれている人に『感染』を受けることだ」という。そうすることで得た知識だけが本当の意味で自分の血となり肉となるのだという。
 「目から鱗」だった。「憧れる・尊敬する」は何よりも強いエネルギーとなる。・・・自分もこういうスゴイ人になってみたい」と思う「感染動機」だ。直感で「スゴイ」と思う人がいて、その人のそばに行くと「感染」してしまい、身ぶりや手ぶりやしゃべり方までまねしてしまう。・・・そうやって学んだことが一番身になるとぼくは思う。・・・
       
学習指導や教育活動について考えることは、めっきり少なくなった。
久々の学校現場、相変わらず先生方は忙しそうだ。
「U先生、帰りは何時ころ・・・?」
「帰宅時間が翌日になることも多いですよ」
悲壮感ではなく仕事が楽しくて仕方ないという感じだったのでホッとする。
「無理して体こわさないでくださいよ」
こんな若い時代が私にもあった。
「寝ていても運ばれて行く夜汽車かな」こんな心境だ。
 
 

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