じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2012年07月

     7月31日(火)晴れ
            北島康介はサムライだ
ロンドンオリンピック真っ最中。イメージ 1
始まる前はメダル獲得予想が華やかだった。
多くの人が金メダル候補に挙げたのは、オリンピック3連覇をかけた北島浩介選手。
ところが100m平泳ぎは5位。
連覇どころかメダルにも届かなかった。
いったい何が起きたのだと、みんな心配し、落胆した。
勝者(メダリスト)へのインタビューは喜びに満ち、聞く方も楽しい。
でも敗者へのインタビューは聞く方もつらい。
 
10数分後、記者らの前に現れた北島選手は「見ての通りです」と切り出した。
この3日間、泳ぎに迷いが出て自信を失ったこと。
それでも今の自分にできる、精いっぱいのレースだったこと。
「簡単にオリンピックをとってきたように見られるけれど、難しいのがオリンピックだと思う」淡々と、言葉を選ぶように、丁寧に話す。
まるで自分自身に言い聞かせ、納得させるかのようだ。
 
と、朝日新聞夕刊(7月30日)で報道していた。
10数分間の北島選手の心境はいかばかりだったろうか?
プールからあがった後のせいか、テレビで見たあの大きな目が赤く感じた。
アテネオリンピックでの「チョー気持ちいい」も、北京オリンピックでの「なんとも言えねえ」も、あの大きな目は赤味を帯びていた。同じ目の赤でもまったく違うのだ。
インタビューはさすが2連覇を成し遂げ、3度目のオリンピックに出場するアスリートだ。
どんなにか心が乱れていただろうに、じっくり考えて、はきはきした受け答。
心うたれた。
彼は日本サムライだと思った。
「彼に対しても情けないレースをしてしまい、残念な気持ちでいっぱいだ」
と、急死したライバル(オーエン選手)への思い遣りの気持ちが出るなんて、やっぱりメダリストは人間的にも優れていることを教えてくれた。
そして最後に「200の方がいいじゃねえかと、思っていくしかなっしょ」とコメント。
「過ぎたことは現実として受け止め悔やまない、次のチャンスに全力で挑む」という前向きな姿勢が爽やかだ。
200mは明日8月1日に行われる。
日本サムライがどんなレースを行うか楽しみだ。
 
                          *新聞 :朝日新聞 (平成24年7月30日夕刊)
 

   7月30日(月)晴れ
             リベンジし続けて3年目、エダマメができましたイメージ 1
「枝豆はだれでも作れるよ。土地は痩せていてもできるし、肥料もいらない・・・だから田んぼのアゼ道や土手なんかに作るんだ・・・」仲間に言われてつづけていた。
だれでも簡単に作れる枝豆を、上手く育てられない。
昨年、一昨年と実をつけなかったり、実が小さくてガッカリしていた。
リベンジし続けただけに、今朝の枝豆収穫はうれしかった。
「農作物は朝取りが美味しい。甘味がちがう」
農業のお師匠さまの教え通り、朝収穫。
ワイフがゆでてテーブルに。
「あれ、居酒屋の枝豆と色がちがう、どうして?」
もっと、鮮やかな緑のはずなのに。
食べてみると、これまた居酒屋の、あの香りがない。
でも、甘味はバッチリ、美味しい。
朝なのでビールはないが美味しい。
「やめられない、止まらない・・・」朝食前に半分食べてしまう。
 
「枝豆のゆで方」インターネットで検索。
そうだ、塩だ。わが家は塩を使っていなかったのだ。
今度は塩を入れてゆでてくれ、と頼む。
「ああ、そうだ、そうだ、塩を入れるの忘れていた。ゴメン、ゴメン」
素直に自分の非を認めた。
「エダマメって英語でなんという?」イメージ 2
「マメ(豆)はビーン。・・・エダ(枝)・・・ウッドじゃない・・・昔、ツイギーってミニスカートの歌手いたよな。あのツイギーって枝という意味じゃなかったけ?だからツイギービーン」
「・・・ツイギービーンね。枝豆の英訳はエダマメ・・・」
「エダマメはエダマメなの。スキヤキ、スシと同じ類か」
「そう今、アメリカやヨーロッパでは日本食ブームで、エダマメはエダマメって言うらしい。イギリスはグリーンソイビーンズって言うこともあるけど、エダマメの方が一般的だって」
「食べ方は日本と同じ?」
「アメリカの居酒屋や野球場でもエダマメとして売られているんだって」
「エダマメは健康に良いから、世界中が健康志向の影響からかな・・・」
健康に良いエダマメをしばらく食べることができそうだ。
リベンジ3年目、今年成功した要因は?
畑に石灰をまいたせいかもしれない。
ちなみに「ツイギー」の意味は「枝」ではなく「小枝」というでした。
 

     7月29日(日)晴れ
        御宿海岸、7月最後の休日
朝6時20分、いつものようにラジオ体操へ。
今朝の海岸はにぎわっている。
まだ朝の6時20分だというのに、水浴客が海岸へ向かっている。
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「今日は人出が多いですねー」イメージ 2
「昨日、土曜日。大勢出たんですかねー」
「いや、少なかったですよ」
「そうですか・・・」
「今の人出は昔の10分の1だねー。7月最後の休日なら昔はこんなもんじゃなかったよ。少ない、すくない・・・」
昔の御宿海岸を知る人は今日の人出は少ないという。
昨日も、昭和40年代に御宿駅に勤務した元国鉄マンが語っていた。
「・・・御宿駅の混み方といったらすごかったですよ。列車が駅に着くたびに改札口は混んで混んで。指定席なんか間違って発行して重複なんかすると客は怒るし。・・・駅から海岸まで人の列でしたよ・・・。売り上げの札束もハンパじゃなかったですよ・・・」
昭和40年代後半の御宿のにぎわいぶりを興奮ぎみに語ってくれた。
 
ラジオ体操の帰り、駐車場の臨時のアルバイトをしているOさんに会う。
「おはようございます。今日は日曜日、大変でしょう?」
「いやいや、今年は少ないですよ。昨日も駐車場が満杯にならなかったよ。・・・例年なら駐車場が足りなくて他の駐車場に誘導するのに、今年はそれがないんですよ。少ないですよ・・・」
やはり、例年にくらべ客の入りが悪いという。
「若者が車を所有しないからね。昔の若者は就職すると何はともあれローンで車だったでしょう。それが今の若者は、車に興味を示さない傾向があるんだって。車の販売台数が減少しているのも若者の車離れがあるんだって・・・」
「そう?車を買うだけの給料もらっていないんじゃない。正社員になれなくて給料も少ないとか?だって、車持つとなるとガソリン代に維持費でしょう、月に最低2万円はかかるよ・・・」
「給料のせいもあるか?やっぱり、世の中不景気なんかねー?」
 
海岸は大きな清掃車がエンジン音をうならせている。
毎朝、海岸を清掃しているんだ?
御宿海岸が美しいのはこのせいもあるんだ。
にぎやかな朝だと思えたが、昔(昭和40年代)にくらべれば静かな7月最後の休日の朝だという。
 

 

   7月28日(土)晴れ
         「いすみ鉄道物語」、佐久間さんの紙芝居に感動イメージ 1
「夷隅民話の会」という民話愛好会をつくっている。
今日は、例会。
過日、会員のYさんから「とっても面白く為になる紙芝居があるので会員で見ましょう」という話から、今日の紙芝居が実現した。 
演じる人は大多喜町板谷の佐久間さん。
紙芝居のタイトルは「いすみ道物語」。
内容は、タイトル通り、いすみ鉄道の歴史物語。
最近、テレビで盛んに放映されている「いすみ鉄道」にはこんな歴史があったんだ。
よく調べてくださったことに、感激。
でも、なぜ佐久間さんが?と、思っていたら、元国鉄職員。イメージ 2
なんと最後は「いすみ鉄道」で退職されたという。
納得、納得。文も読み方も、鉄道に対する愛情があふれている。
 
心に残っていることを思いつくままに羅列する。
「いすみ鉄道」の変遷。
・人車軌道(じんしゃきどう)・・・大多喜、大原間の線路を人間の力で押したという。運賃が高くて金持ちしか乗れなかったという。
・レールバス・・・軽油で走り、大勢の人を運ぶことができるようになる。
・木原線となる。蒸気機関車・・・木原線の名の由来は「木更津」と「大原」間を走る予定だったので命名された。
・煙を吐いて走る機関車の雄姿、
・第二次世界大戦時の出征兵を送る写真イメージ 3
・木原線廃止反対運動
・第3セクターへの移転
・線路 菜の花作戦(最初の提案者が佐久間さん)
・社長の民間公募
・運転手の公募などのアイディア経営
絵と写真による12場面の紙芝居。
貴重な資料だ、多くの人に見て欲しい。
それから、元鉄道マン苅米繁幸さん(佐久間さんの先輩)作の「鉄道唱歌 木原線」も傑作だ。
もっと知りたくて、図書館で調べる。
1,(大原)
 黒潮躍る大原を
 出でて渡るは塩田川
 川口青松茂る宿イメージ 4
 真実一路記しとこ
      (略)
5,(新田野)
 田んぼの中を新田野へ
 前のお山は万木城
 昔 土岐氏の居城跡
 今じゃ昔を偲ぶだけ
      (略)
充実した時間を過ごすことができました。
佐久間さんありがとうございました。
 
 
 

   7月27日(金)晴れ
          野沢温泉中学の生徒が参加してくれました

昨日、今日と朝のラジオ体操がにぎやかだ。
長野県の野沢温泉中学1年生が参加してくれたのだ。
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中学生は7月25日から27日まで2泊3日滞在。イメージ 2
毎年、野沢温泉中1年生と御宿中1年生の交流会。
名称は「海と山の子交流」という、伝統的な行事。
御宿での主な活動は次のようなもの。
・メキシコ記念塔見学(小生が説明役をさせてもらった)
・漁船遊覧・海水浴・地曳き網・バーベキュー・歴史民俗資料館・月の沙漠記念館の見学
冬は御宿中の生徒が野沢温泉でスキーを楽しむのだという。
学校、教育委員会、PTAにとっては夏の一大行事。
「町からお知らせします。只今野沢温泉村から中学生が来町しています・・・・野沢温泉の歌、朧月夜を流します・・・」と、朝7時、昼12時、夕方5時の防災無線で流れる。
防災無線から流れてくる「朧月夜」は哀調のこもった曲だ。
防災無線からは歌詞はなく曲だけだが、詩もよかったよな。
作詞はだれだっけ?インターネットで検索。
 『朧月夜(おぼろづきよ)』とは、作曲:岡野貞一、作詞:高野辰之による日本の歌曲。1914(大正3)年『尋常小学唱歌 第六学年用』に初めて掲載された。
 朧月夜(おぼろづきよ)とは、春の夜に月がほのかに霞んでいる情景を指す季語。
 岡野と高野の作詞作曲コンビで生まれた唱歌といえば、「朧月夜(おぼろづきよ)」の他に、「故郷(ふるさと)」、「春が来た」、「春の小川」、「紅葉(もみじ)」などがある。
 
1.菜の花畠に、入日薄れ、
 見わたす山の端(は)、霞ふかし。
 春風そよふく、空を見れば、
 夕月かかりて、にほひ淡し。
 2.里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
 田中の小路をたどる人も、
 蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、
 さながら霞める朧月夜。
 
詩は1番2番とも脚韻を踏み、各行4+4+3+3音で構成されている。特に2番の「も」音の繰り返しが音楽的である。初めの2行に視覚的描写を置き、第3行で体性感覚、聴覚に言及し、最後の1行で締める起承転結の一種ともなっている。岡野はこれに弱起で始まる3拍子のリズムをあてはめている。
高野は長野県豊田村(現在の中野市)に生まれ、隣の飯山市で小学校の教師をやっていた時期があった。その時に飯山市で見た菜の花畑が印象に残り、この歌を作るきっかけになったと言われている。
作詞はあの高野辰之でしたか。
それにしても、大正時代の童謡(文部省唱歌)は曲も歌詞も良いですね。
我が町の「月の沙漠」(加藤まさを作詞)も大正12年作。
 

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