じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2012年10月

       10月26日(金)  晴れ
  秘湯を訪ねて檜枝岐・尾瀬方面へイメージ 1
10月24日25日、1泊2日の旅行に行って来た。
年齢60代の男6名の旅だ。
ああ、男の旅ね、「ゴルフ」でしょう、と思われるだろう。
ゴルフではない。
なんと、「紅葉狩り&秘湯の旅」。
 秘湯めぐりの旅に行かない
旅のきっかけはひょんなことから決まった。
今年の4月、会議のあとの懇親会。
座席の近かったWさんが「日本秘湯をめぐるをしよう」という話が出た。
「いいね、あまり知られていない、ひなびた温泉でのんびるする・・・いいね」。
近くにいた5・6人が話にのってきた。イメージ 2
「いいねー。仕事も一段落した・・・これまでの疲れを癒すためにも温泉で日本酒を酌み交わしながら紅葉を愛でる・・・いいね」
こんな会話で盛り上がった。
「秘湯めぐり」の話は、その座を盛り上げるその場限りの話。
正直なところ実現することはないだろうと思っていた。
秘湯めぐり 都合の良い日いつ?
9月上旬。
「秘湯めぐりの打ち合わせをするので、都合の良い日を教えてくれ」との電話。
「ええ、本当に実施するの?あのときの雰囲気のノリじゃなかったの?」
「やりますよ。10月の中旬から下旬の都合の悪い日を教えて・・・」
こんな電話でのやり取りの後に。イメージ 6
「打ち合わせの場所は○○寿司でいい。それともおすすめの店ある?」
・・・「打ち合わせの場所と時間はまた連絡します」。
   秘湯めぐり打ち合わせ
9月12日の夜6時 ○○寿司に6名集合
Wさんが方面・日程表を作成して持参。
自家用車ではなく、列車・バスの旅。
なぜなら、アルコールが入るから。
会員6名がそれぞれ乗車する列車時刻と駅名が記されている。
2日間の細かな企画書が出来上がっている。
Wってこんなにきめ細かい繊細な人だったの?
そして、第1回目なので私のふるさと「奥会津檜枝岐から尾瀬方面」だという。イメージ 3
尾瀬を散策して民宿へ、という行程であった。
少々厳しい日程なので、途中「御池(みいけ)」までで引き返す、という修正1ヵ所のみでWさんの緻密な計画通り決定。
9月17日旅の1週間前、Wから再度日程表が送られて来た。
60代の会員、忘れているだろう、日程表を紛失しているだろうという配慮だろう。
Wのきめ細かさに再度おどろき、感謝。
   9月24日(水)晴れ、雨、雪チラチラ
「紅葉狩り&秘湯めぐり」に出発。
一番早い会員は列車乗車6時30分。
7時09分、上総一ノ宮から快速電車に。
ここで6名全員勢揃い。
通勤客でごった返すのでグリーン車へ。イメージ 4
幹事のWから缶ビール、ピーナツ・チーズが配られ、旅の安全を祈ってまずは一杯。
会員は旅慣れている。
梅酒、焼酎、枝豆、つけもの、落花生・・・まで持参してきたではないか。
12時20分会津高原駅着。
6時間以上もの列車旅。
でもアルコールが入り、話がはずみ長くは感じなかった。
12時30分沼山峠行きのバスに乗り換え山道を進む。
山に入るにしたがい紅葉が美しい。
檜枝岐に近づくころから雨。
「ええ、今日は雨は降らないはずなのに。雨男はだれなんだ?」
14:10分目的地の御池着。
雨が本降り、雨に混じって白いものが・・・雪だ。
これじゃ、どこにも行けないや、休憩所で時間をつぶす。イメージ 5
確かに来た証拠に写真撮影。
14:30分のバスで今夜の宿、民宿「松源」へ。
「尾瀬からの帰りですか」
「沼山峠まで行ったら雪でしてね。バスの運転手さんがこのバスで引き返した方が良いでしょうと言われ帰ってきたんですよ。峠は雪が積もっていますよ」
バスが出発したら雨が止み、日がさしてきた。
「わーきれい。見てみて、あの紅葉・・・白樺の木とモミジいいね・・・」
女4人は紅葉に感激し歓声を上げるが、秘湯をめぐる会6人は感激の表情はあらわさない。時々カメラのシャッターを切るだけ。
途中、「ミニ尾瀬公園」を見学し、4時に民宿へ。
荷物を置いて近くの温泉「ヒュウチの湯」へ。
今回の目的である秘湯に入る。
露天風呂も楽しみ、6時からの夕食。
6人でビール6本、日本酒(いわな酒)1升。
みんな酒に弱くなった。
9時風呂に入る者、布団に入る者、いつの間にか寝入っていた。
  10月25日(木)晴れ
5時30分目がさめ、ウトウトしていると突然「夏の思い出」の音楽。
村の防災無線から、あの「夏の思い出」が高音で流れてきた。
6時だ、朝風呂にヒュウチの湯、民宿の風呂と朝風呂。
7時30分朝食。珍しい茸ご飯。60代というのに、みな食欲旺盛。
8時30分民宿を出立。
檜枝岐村の「歌舞伎の舞台」、「六地蔵」を見学して9時15分のバスに乗車。
会津高原駅近くの風呂に入る予定であったが本日休業で入れず。
11時51分発の快速電車で浅草へ。
15時30分浅草着。
おしりが痛い。
東京駅で新装なった東京駅のライトアップを見学し、19時の特急若潮で帰宅。
背広姿のサラリーマンが駆け足で乗り込んでくる。
「・・・現役サラリーマンは大変だな。我々はこんな優雅な旅してていいの?」
「ああ、いいさ。我々もさんざん働いたんだから・・・」
「そうか、今まで働いたご褒美だよな・・・」
書類の詰まった大きなバッグを持ったサラリーマンを見ながら、夕食の弁当をひろげた。
 

 

   10月23日(水)雨
   憂鬱な朝がうれしい朝に
朝から強風、時々雨。
天気の悪い日はいまいち気分も晴れない。
しかし朝7時、うれしい電話が入った。
「・・・今朝の新聞に出ましたので新聞見てください・・・」との報せ。
電話はいつもお世話になっている佐久田さん、95歳。
「95歳」書き間違いではない。
95歳にして町の老人会会長。
他にもボランティアをはじめたくさんのことをされている。
地方紙千葉日報の「シルバー通信」記者をされている。
先日、私の拙著「童謡『月の沙漠』と御宿町」発行を取材してくださった。
そして、今朝(10月23日)の新聞に掲載された、という電話。
イメージ 1
声に張りがある。
電話の最後に「・・・・元気でますます活躍してくだしよ」と、励ましてくださった。
書も達筆。
手紙もメモも、いつも筆。
素敵に歳を重ねるとは佐久田さんのような人をいうだろう。
あやかりたいものだ。
 
「新聞を見ました・・・」と、拙著注文の電話をいただいている。(午前9時45分現在)
強風と雨で憂鬱な朝が、うれしい朝になっている。
佐久田さん、ありがとうございました。
 
 

       10月20日(日)晴れイメージ 1
   御宿海岸 遊月橋のコイ
イメージ 4今日も秋晴れ、風もさわやかで気持ちいい。
散歩には最良の日がつづく。
御宿海岸河口にかかる「遊月橋」がにぎわっている。
「わあーすごい」
「これって何、なに、なに・・・」
「コイじゃない?」
「コイって海じゃないでしょう、川でしょう」
「そうね・・・コイって淡水魚よね」
「でも、コイよ」
・・・
「・・・ここにコイのエサって書いてあるよ」
「ああ、コイなんだ」イメージ 2
・・・・イメージ 3
橋の上から下を見て歓声があがり、しばらくたたずんでいる。
最近、「月の沙漠像」と同じくらいに御宿海岸の見所になっている。
 
コイのエサが販売されている。
子どもも大人も大喜びだ。
「来た来た、どんどん集まってきたよ・・・」
「捕りたい。これだけいたらすぐに釣れるよね」
「こんなに太っていれば刺身がいいね。脂がのっていそうね」
「コイはやっぱりコイコク料理よ・・・」
地元の人も可愛がっているようだ。。
今朝も6時に橋の上からエサをやっている人がいる。
エサのおこぼれをもらおうと、鳩の群れがやってくる。
 のどかな秋の風景です。
 
 

      10月20日(土)晴れイメージ 1
   北国から雪のたより、房総はこれから秋です
肌寒い朝でした。
ラジオ体操に集う人達も
「おはようございます。今朝は寒いですねー」
「いよいよ寝床から離れるのがつらくなりました。目は覚めているんですがね・・・」
と互いに寒さの挨拶を交わします。
服装もジャージ、ウインドブレカーに変わってきました。
半袖はいません。
でも、体操が終わればポカポカ。
体操の後は気持ちいい。
北国では「雪たより」です。
 
<北海道の新聞から>
「19日朝は北日本や東日本で冷え込みが強まった。札幌市郊外にある中山峠では、18日夜から19日朝にかけて雪が降り、この秋初めて雪が積もった。また、北海道・稚内では19日午前9時過ぎにみぞれが降り、平年より3日早く初雪を観測した」
「一方、東日本では台風一過の青空が広がり、19日朝は雪化粧した富士山がきれ
いに見ることができた」
イメージ 2<青森県の新聞から>
「19日の県内は上空に強い寒気が入り込んだ影響でこの秋一番の冷え込みとなった。八甲田と岩木山で初雪が降った。ともに去年より16日遅い。八甲田は標高1324メートルの田茂萢岳山頂付近が一面真っ白に雪化粧し紅葉狩りの観光客も驚いていた」
 
若いときは雪・スキーが好きでした。
雪国が好きでした。
しかし、寒さに弱くなってきたせいか、暖かい房総が好きです。
リタイアした人が終の棲家を房総(御宿町)にと来町されるのがわかります。
スイセンが芽を出し始めました。
紅葉がまだ来ていなのに、早春の花スイセンが準備を始めています。
菊の花もつぼみを膨らませてきました。
房総はこれから本格的な秋です。
日本は広いです。
 
 

      10月19日(金)雨のち晴れ
    「思い出すことができません」確実に成長しています
今朝、台風21号が房総沿岸を進行中。イメージ 1
北風が吹き、小雨。
今、真っ盛りの柿とコスモスがこの風でしおれてしまうだろう。
この風と雨も昼からは晴れになるという。
 
昨日18日はO小学校に行ってきました。
授業研究のため参観。
この学校には20年前に5年間勤務しました。
各クラスに校歌がはってあります。
当時は気づきませんでしたが
作詞「西条八十」、作曲「古関裕治而」ではありませんか。
校歌制定が昭和40年、お二人とも大活躍の時代です。
O小学校とどんな縁で二人が、この学校の校歌を作られたのだろうか?
 
1朝日が丘の 朝日を仰ぎ
 今日も集まる あかるい笑顔
 からだを鍛え 知識をみがく
*我等 我等
 あゝ 大多喜の
 大きく伸びゆく 若木ぞ 我等イメージ 2
2夷隅の川の やすまぬ流れ
 つねに励ます たゆまぬ努力
 理想は高く 元気に燃える

3みどりの谷の ふるさと出でて
 翔る青空 世界はひろい
 この手で興す 未来の日本

「朝日が丘・若木ぞ我等・夷隅の流れ・みどりの谷」
校歌の一節にあったことを思い出しました。
当時の学校だよりが「朝日が丘」であったことも思い出しました。
全校朝会で毎月歌っていました。
ところが、メロディーが浮かんできません。
必死に思い出そうとしましたが、思い出せません。
他に勤務した学校の校歌を振り返りました。
恐ろしいことです。
8校勤務で、メロディーの浮かんでくる校歌は4校だけです。
昔むかし50年前、小学校の頃、詩の意味も知らず歌った春日八郎の「別れの一本杉」とか、三波治夫の「チャンチキおけさ」とかは詩もメロディーも口をついて出てくるのに・・・。
ほんとうに不思議です。
今朝もO小学校の歌詞を見ながらメローディーを思い出そうとしましたが、思い出せません。
確実に歳を重ねています。
作家三浦綾子さん流にいえば進歩し、成長している証拠です。
 
 

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