じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2012年12月

       12月24日(月)晴れ
       源頼朝伝説「矢立松」を見てきました
NHK大河ドラマ「平清盛」が昨夜で終わった。イメージ 1
「平清盛」といえば「源頼朝」。
源平の合戦、「石橋の山の戦」で頼朝が大敗し千葉県に逃れて来た、という歴史がある。
そのため千葉県には源頼朝伝説が各地に伝わっている。
ここ夷隅地方は、大河ドラマにも登場した上総介広常という豪族の館があったということから、頼朝伝説が多い。
隣町いすみ市矢指戸に建つ「矢立松」の碑を見に行く。
以前から、この碑があることは知っていたが見たことはない。
矢指戸地区に入ると、バイクに乗ったお爺さんに遭う。
「すみません、この写真にある『矢立松(やたてまつ)』という碑の建つ所をご存じですか」
「ああ、知ってはいるけど、今は道があるかな・・・おそらく藪だ」
「行けないですか」
「ああ、行けないことはないが大変だぞ」
「歩くことは覚悟してきますので」
「しばらく行くと神社だ。その神社の階段を上りきった右に、神社の裏山に通じる径があるのだが、今はだれも通らないから、径があるかどうか・・・。途中藪だぞ・・・」
「ありがとうございました」イメージ 2
 
車を走らせると、間もなく人家が見えてきた。
道が狭くななったので、車を止めて歩くと3分ほどで神社が右手に見えた。
神社の石段を上る。
ふり返ると海が見える。
道路の両脇に、屋根が重なり合う民家が続き、道は海につながっている。
絵に出てくるような温かい漁師町だ。
お爺さんに言われた通り、石段を登りきると神社。
神社の右はフェンス。フェンスの下は崖。フェンスに沿って人の通った跡がわずかに残る。
この径だな、と登ると間もなく、バイクのお爺さんが言った通り、竹藪になって径が消えた。
でも、藪の中を登ること10分。
竹藪が広がる平らな地に出ると、碑があった。
早速、カメラを出してシャッターを切ろうとしたが、竹の葉で碑の文字が隠れてしまう。
足で碑の側の竹を倒して、シャッターを切る。イメージ 3
目的はこの碑を撮るだけなので、すぐに引き返す。
登って来た径がわからなくなった。
とにかく、下を目指して下りればいいだろう。
急な斜面なので何度も転びそうになるが、枝につかまって、かろうじて難をのがれる。
神社には出ないで、他の場所に出てしまった。
もう一度神社に引き返すと、人の姿。
「こんにちわ」
「何しているんですか?」
「矢立松に行ってきたんです」
「行けた?」
「藪でしたが行けましたよ」
「矢立松か、おれの子どもの頃はよく矢立松で遊んだもんだ」
「ええ、子どものころに松まだあったんですか」
「枯れかけていたが、スゴイ松だったよ。高さはそんなになかたが枝を広げて・・・」
「子どもの遊び場だったんですか」
「松の上に上って遊んだもんだよ。・・・松が残っているよ、しめ縄されて残っているよ」
「ええ、残っているんですか」
「この階段の上の神社の脇にあるよ」
「おれの子どもの頃だから70年前だ」
「おいくつなんですか」
「75歳だ」
先頭になって階段を上ってくださった。
「ここだよ、太い立派な松だったよ」
朽ち果てた松の幹にしめ縄がされている。
神として大事にされていることが理解できた。
「戦争の時には、こうして松の木をちぎって、お守りに入れて戦争に行ったらしいよ」
「ええ、やっぱりここの人達にとっては、矢立松は神様だったんだ?」イメージ 4
「そうだな。ふる里の神社はやっぱり一番のよりどころだったんだろうな。・・・戦争の時は、この松からヤニを採ったもんだ。ほかにも松がたくさんあって木に傷つけて松ヤニ採りをしたよ。松はみんな伐ってしまったな」
この松の木と頼朝との関係はこんな伝説が語られている。
        九十九里浜と頼朝と矢立松
 頼朝軍が太東崎にさしかかりました。
黒潮洗う浜が、青い空の下にどこまでも続いています。
「美しい景観だのう・・・」
「いったい、この浜辺はどのくらいの道のりでござる」
「は、はい。いまだに誰も計ったことがありませんので、いかほどの道のりかわかりません」
「わからぬのか。こんな美しい浜が・・・」
「そうじゃ、わしが計ってつかわそう」
「殿、地のはての見えないこの浜をどうしてお計りになられるのですか」
「ああ、たやすいことよ。このようにして計っていけばいいのだ」
頼朝は弓矢をとりだしました。
「一里(約六〇〇メートル)ごとに矢を立てけば、計れよう」
頼朝は家来に一里ごとに弓矢を立てていくように命じました。ちょうど、浜のつきた時には、十九本の弓矢が立ちました。こんなわけで、九十九里浜という地名が命名されました。
 九十九里浜のほぼ中央、蓮沼村の神社にこのとき使った弓矢を奉納しました。それで、この神社は『矢指神社』と呼ばれるようになりました。
 また、いすみ市大原の太平洋側に「矢指戸」という地区があります。頼朝が蓮沼村の浜から六町ごとに弓矢をさして行き、ちょうどこの地で一〇〇本をさし終えました。そこで、この地は「矢指止」と命名されましたが、いつしか「矢指止」から「矢指戸」になりました。
 土地の人は後に、後にこの話を語り伝えるために、矢指戸山の頂に松を植えました。これが「矢立松」なのです。
                                             おしまい
 
地名伝説です。途中128号線から矢指戸入口に、古い石の標識があった。
そこには「矢差戸」と刻まれていた。
「矢指止」「矢差戸」「矢指戸」、時代により変化してきたのだろう。
これは歴史ではない、伝承・伝説だ。
地域の人が心の拠り所としてきた、そのことに意味があるのだ。
楽しい時間だった。
お話しをしてくださった、山口さんありがとうございました。

 

イメージ 1               12月23日(日)曇り
    御宿海岸 カモメの数がスゴイ
3連休で御宿海岸も人が多い。
人間の数も多いがカモメの数がスゴイ。
集団で波打ち際に群れているカモメの光景は人目を引く。
カメラを向ける人も多い。
鳥マニアやカメラマニヤでなくとも、鳥の大集団にカメラを向けてしまう。
まして、一斉に飛び立つときは、壮観だ。イメージ 2
 
カモメが集まる理由は沖にイワシの群れが来ているからだという。
このイワシを求めてカモメの群れがやって来るのだという。
先日まで、御宿海岸でアジがたくさん釣れたという。
そのため、御宿湾内でたくさんの船が見られた。
我が家もお裾分けにあずかった。
カモメはアジも食べるのだろうか、カモメにとって大きいようだけど。
 
イワシと言ったら九十九里、外房。
昔はもっともっと、たくさん捕れたという。
昔の写真を見るとたくさん捕れた様子がわかる。
捕ったイワシは樽ではなくカマスだ。
先日、その写真を見せてもらい、スキャナで撮ったので掲載。(上から3枚目)
食糧と同時に、多くは畑の肥料にしたという。イメージ 3

漁の仕方はアグリ網という巻き網の一種だという。
この漁法は紀州から伝わったという。
このアグリ網漁具を改良し、外房一帯にイワシの豊漁をもたらしたのが隣の勝浦市の住人江沢潤一郎という人だという。
何とこの江沢潤一郎という人物、私費で学校を建てたり、種痘を施したり、間引き(口減らしのため生まれた子を殺す)を無くすために、無償で米や薬品を地域の人に与えた慈善事業をした人。
先日、本を読んで初めて知る。
「房総の漁法」「江沢潤一郎」という人物に興味を持ち調べ始めた。

 

     12月22日(土)雨
     御宿海岸は高校生が合宿をしています
朝6時、時々雨がポツポツ来ます。イメージ 1
「残念、これではラジオ体操できないや」
と言いながらも、(今朝は休みだ。寒い中ラジオ体操しなくても、いいや)と、内心ホッとする気持ちもあります。
自分に対する言い訳なんでしょうか?不思議な心理です。
半日パソコンとにらめっこ。
午後、Sさんの原稿ができたとの連絡を受け、大多喜図書館へ。
夕方、雨が止みました。
運動不足なので、午後4時海岸へ散歩。
時々ジョギングしなければ、寒気が身にこたえます。イメージ 2
海岸通りは、散歩する人がいつもより多いです。
一日中雨だったので、雨が止んだ夕方に散歩なのでしょう。
砂浜に放された犬も嬉しそうに跳び回っています。
 
大勢の人が砂浜を走っています。
野球のユニホーム姿です。
高校生が合宿をしているようです。
野球だけではなく、隣では陸上部でしょう、リレーをしています。
海は荒海、冷たい風が吹きつけています。
黙黙と走っています。
寒そうなのは生徒ではなく大人です。
コーチや監督が厚い防寒着を着こんでジッとしています。
 
途中、野球選手が元気よく挨拶してくれました。
「どちらから来たの」イメージ 3
「木更津からです」
「学校はどちら」
「K総合高校です」
「K総合と言ったら、あの有名な」
「ありがとうございます」
「いつまで合宿なの」
「27日までです」
「宿はどちら」
「すぐ近くの民宿Aです」
「そう、頑張ってナ」
「はい、ありがとうございます」             
スポーツマンらしいキビキビした態度で応えてくれました。
やっぱり強いチームは態度もいいなあ、なんて礼儀正しい生徒を心で賞賛していました。

 

    12月21日(金)晴れ
     今日は湯治「冬至は湯治なんですよ」
日が短くなって来てると思っていたら、今日は冬至だそうです。
柚のたくさん入った温泉の様子がテレビニュースで映し出されていました。
 冬至には「柚子湯」に入って無病息災を祈ります。
伝統行事受け継がれ、体も心も温まります。
ゆず湯に入るとカゼをひかないと言われています。
あの、鼻をつく香り、本当にカゼも治りそうです。
もう少し科学的に言うと、新陳代謝を活発になって血管を拡張させ、血行がよくなるのだそうです。ほかにも鎮痛・殺菌作用があるので、体が温まり、カゼも治るのです。
また香りのいいゆず湯は、アロマテラピーのリラックス効果があるとか。
良いことずくしのゆずです。
イメージ 1
「ところで、なぜ、冬至に風呂なのか知っているか」
「・・・そりゃー、寒いこの時期にビタミンCたっぷりのゆずが身体に良いからでしょう」
「それじゃ、冬至でなくて、寒い冬ならいいじゃないか・・・」
「・・・」
「トウジだよ、だからトウジじでなくちゃいけないんだ」
「・・・・」
「湯にはいることトウジって言うだろう」
「・・・ああ、わかった。湯治ね。温泉で湯治する・・・あの湯治ね」
「そう、冬至は湯につかって病気を治す湯治に通じるんだ」
「柚(ゆず)は融通が利くって言うだろう、柚が効きますように、という願いが込められているんだ」
「へえー、知らなかった」
遠い昔、小学校の時に先生が話してくれた「冬至=湯治」のウンチクをこれみよがしに話したら
「おとうさん、結構博識なんだね、見なおした」
とほめられ、うれしくなりました。
 
 

      12月20日(木)晴れイメージ 1
  冬の寒さ対策は「歩くこと・動くこと」
日の出が遅くなりました。
6時20分からのラジオ体操は薄暗いです。
まだ、街灯がついています。
ラジオ体操をする服装も皆、冬用です。
帽子も毛糸で作った帽子が多くなりました。
身体を動かしている時は寒さを感じませんが、動きを止めると寒いです。
まして、風があると一段と寒さを感じます。
参加少し人数が減りました。
 
昼の散歩は「機関紙の配布」を兼ねながら、駅方面に行きました。イメージ 3
駅に向かう途中、「清水川遊歩道」を通ってみました。
途中休憩するベンチもあり、「遊歩道」って感じ満載。
もう少し距離があれば最高、少し距離が短いかな。
この季節、水気を無くしたススキが川を占領。
穂が陽に輝いています。
冬枯れの景色が美しい。
カモの家族ものんびり泳いでいます。
寒い寒いと感じても、15分も歩くと暖かい。
40分歩いたら、うっすら汗をかきました。
冬の寒さ対策は、暖房や厚着ではなく、「動くこと、歩くこと」と悟りました。
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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