じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2013年05月

                         5月31日(金)晴れ
           初夏 暁(あかつき)を覚える  
晴れました。イメージ 2
草木も雨に洗われて朝日に輝いています。
鳥が活発に鳴いています。
今季初めてホトトギスの声を聴きました。
にぎやかな朝です。
鳥たちも、久々の太陽を喜んでいるのでいるようです。
「夜来(やらい) 風雨(ふう)の声/ 処処(しょしょ) 啼鳥(ていちょう)を聞く」ってこのことですか?
遠い昔の高校の漢文思い出しました。
漢詩「春暁(しゅんぎょう)」、孟浩然(もうこうねん)でしたっけ?
古文も漢文も名文もほとんど忘れて、暗唱できませんが、これだけは覚えています。
    春曉
 春眠 暁を覚えず
 処処 啼鳥を聞く
 夜来 風雨の声
 花落つることを知る多少
(現代語訳文)
 春の眠りの心地よさに
 夜の明けるのにも気がつかずにうとうとしていると
 あちこちに鳥の鳴き声が聞こえる
 昨夜は雨風の音がしていたけれど
 花はどれほど散ったのだろう
 
現役で働いている時は、孟浩然と同じように「春眠 暁を覚えず」イメージ 1
でした。
眠くて眠くて、睡眠時間がいくらあっても足りませんでした。
でも、退職した現在は「初夏(しょか) 暁(あかつき)を覚える」(初夏、夜が明けるのをすがすがしく迎える)の心境です。
 
「処処 啼鳥を聞く/夜来 風雨の声/花落つることを知る多少」は孟浩然と同じ心境だと思います。。
昨夜の風雨は結構すごかったようです。
朝の散歩の時、バラの花びらが濡れた道路にいっぱい散り落ちていました。
「花落つることを知る多少」って、こんな情景?
何だか漢文の世界を体感したような、心地よい朝でした。
関東地方も梅雨に入ったとか?
でも、今日はさわやかな一日。
午後は涼風が吹くなかで草取りをしました。
農作物が生長する時期は、雑草も生長する時期です。
思うようにいきません。

         5月30日(木)雨
        夷隅が生んだ名馬「磨墨(するすみ)」
今日も一日中雨でした。
先日(5月19日)の「民話さんぽ」を機関紙「夷隅むかしむかし」に載せるため、朝からパソコンに向いました。
いすみ市布施の「筆かけの槙」は実におもしろいです。
夷隅地方にたくさん語り伝えられている、源頼朝伝説の一つです。イメージ 1
こんな話です。
      筆かけの槙
 上総の国は御宿町布施に館を構えていた上総介広常(かずさのすけひろつね)が治めていました。その勢力は房総一といわれていました。上総介広常の館を尋ねた頼朝は、平家打倒のために救援を願いました。しかし、広常は隣国(下総の国)千葉常胤(ちばつねたね)と相談してからという返事をして、即答しませんでした。
 話が終わると、広常は頼朝を近くの長福寺に案内しました。住職は源氏の頭領と知り、
「頼朝様、この寺にはまだ山号がありません。山号をつけていただけませんでしょうか」
「わしでよければ、ひとつ山号をつけさせていただくか」
住職は紙と筆と硯を持って来ました。この紙と筆と硯を見、
「これはこれは何とすばらしい硯だこと。このような見事な硯は初めて拝見いたしました」
感嘆の声をあげられました。そうして
「この寺は日本一立派な硯を持っているので『硯山』という山号にしよう」
墨をすりながら言われました。
墨をすり終え、筆を手にしたときでした。イメージ 2
ヒヒーン
鋭い馬の悲鳴がしました。(さては、追っ手の者が・・・)と思い、手にした筆をそばの槙の木にかけ、太刀を握りました。見ると真っ黒な裸馬が勢いよくむかってくるではありませんか。しかし馬は、頼朝の所に来ると止まり、大きな目をまばたきさせ、かわいらしく首をふるのです。毛の色つや、脚の筋肉、一目で名馬であることがわかりました。頼朝は一目でこの馬が気に入り、愛馬になさいました。
 境内の槙の木は、この時、頼朝が筆をかけたので『筆かけの槙』と呼ばれるようになりました。今でも長福寺の境内に残っています。樹齢は一三五〇年といわれ、根まわり五メートル、高さ一〇メートルもの大木です。また、この馬は墨をすっている時にあらわれたので『磨墨(するすみ)』と命名されました。頼朝はこの名馬を後に重臣、梶原景季(かじわらかげすえ)に贈りました。梶原景季はこの『磨墨(するすみ)』に乗って、あの「宇治川の戦い」で『生月(いけづき)』に乗った佐々木高綱(ささきたかつな)と「戦陣争い」をします。
イメージ 3
 
宇治川の戦いでの「戦陣争い」、我が郷土「磨墨(するすみ)」は勝ったの負けたの?
夷隅の人間としては大いに気になるところです。
結論を言えば、惜しくも負けました。
そんな「宇治川戦陣争い」を調べてみました。
 
       名馬「磨墨(するすみ)」と「宇治川の戦陣争い」
 戦いの始まりは、両軍がにらみ合いながら向かい合い、互いに敵陣めがけて矢を射ち合います。その中を、味方の先頭を切って敵陣に駆け込む事を「先陣を切る」といいます。味方の軍勢は、これをきっかけに一斉に敵の陣地へなだれ込みます。先陣を切る事は、戦いの勝敗を決する大きな要素となります。敵陣が放つ矢が飛んでくる中を駆け入るわけですから、まさに命懸けです。そのため戦いに勝てば、先陣を切った者は一番の功労者として恩賞と名誉を手にすることができます。
 寿永三年(一一八四)正月、雪解けで増水した宇治川をはさんで、源義経軍と木曽義仲軍が向かい合いました。大将義経は濁流を見て「ここを渡るのは無理のようだ。下流へ迂回するか、水の勢いがおさまるのを待つか」と思案しました。
 その時、梶原源太景季、十メートルほど離れて佐々木四郎高綱が馬に乗ってやって来て、われこそが戦陣をつとめると川に向かいました。
「梶原殿、この河は、西国一の大河ですぞ。馬の腹帯が緩んで見えたり。締め給えや」、佐々木が言いました。梶原は「さもあらん、川中で落馬しては一大事」と、馬を止め、腹帯を解いて締め直しました。佐々木はその間に、どんどん川へ進んでいきます。「謀られたか」と思いながらも梶原は遅れてはならないと佐々木の後に続きます。 イメージ 4
 今度は梶原言います。
「佐々木殿、功を焦って不覚を取りなさるな。水の底に大縄が有りますぞ。心得たまえや」
「そうだ、足を取られては大変」と、太刀を抜いて、馬の足に掛かる縄を、ブツリ、ブツリと斬りながら渡って行きます。
さすがは生食(いけづき)、日本一の名馬です。濁流の宇治川を突っ切って、とうとう対岸へ上がりました。
一方の梶原の乗った磨墨は、激しい流れに押し流されて、はるか川下に上がりました。
その後、佐々木は、鐙(あぶみ)に踏ん張り立って、
「宇多天皇に9代の後胤(こういん・子孫のこと)、近江の住人・佐々木四郎高綱、宇治川の先陣なり」と、声高らかに、名乗りを挙げました。
 
物語では、佐々木高綱と梶原景季が宇治川の先陣を競った訳ですが、その評価は佐々木を褒め称える人と、小細工をした佐々木を非難する人とに二分されたそうです。
 
雨の一日、あれこれ本をめくって、こんなことを書いているとアッという間に一日が終わってしまいます。
運動不足です。でも、食欲はあります。体重が気になります。
 
 

       5月29日(水)イメージ 1
       雨のひびきがしめやかに
今日は雨でした。
降ったり止んだり。
どんよりたれ込めた雲の下の景色は淋しげです。
高校時代に学習した詩、「都に雨の降るごとく」が思い出されます。
40年以上も昔のことなのに、現代国語のN先生を思い出しました。
ガリ刷りのプリントを使っての現代詩の歴史でした。
今思えば、教科書の発展教材としてN先生が作ってくれたものだったんです。
素敵な先生でした。
45人のギュウギュウ詰めの教室でした。
学生服では暑い、初夏でした。
「都に雨の降るごとく/わが心にも涙ふる・・・」
ここまでしか、覚えていません。イメージ 2
でも、七五調の詩のリズムが思春期の心にビンビン響いたのを覚えています。
    都に雨の降るごとく      
          ヴェルレーヌ (鈴木信太郎訳)
都に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
心の底ににじみいる
このわびしさは何ならむ。
 
大地に屋根に降りしきる
雨のひびきのしめやかさ。
うらさびわたる心には
おお 雨の音 雨の歌。イメージ 3
 
七五調、いいですね。
詩はやっぱり七五調です。
最近、表現も言葉も難しい詩が流行していますが、五音七音の詩が好きです。
 
曇った空から大地に屋根に雨が降っています。
わびしい、くすんだ景色に映ります。
紫陽花が雨に濡れています。
撫子も雨に濡れています。
でも、花のある場所は明るい景色です。
うらさびしくなりそうな光景も、そこだけは明るく感じます。
雨のひびきがしめやかに聞こえた一日でした。

      5月28日(火)晴れ後曇り後雨イメージ 1
      トマトが赤くなりました

テレビの天気予報では関西は雨。
近畿と東海は梅雨入りしたようです。
午後3時ころからパラパラ降ってきました。
天気予報では明日は一日中雨、明後日も。
関東地方ももうすぐ梅雨に入るでしょう。
 
午後、トマト畑に屋根をつけました。
写真のように、格好悪いトタン屋根です。
トマトの雨除けというと、金属の支柱にビニール屋根が相場です。
でも、わが家はもう4年前から、このみすぼらしいトタン屋根です。
数年前ビニールの雨よけをわが家も作ったのですが、強風で支柱を折られ、ビニールは破られました。
以来、ビニールはやめて、このようなトタン屋根にしました。イメージ 2
相当強い風でもビクともしません。
支柱も折れたり倒れたりしません。
格好悪くみすぼらしいですが丈夫です。
雨除けになり、トマトのひび割れはありません。
 
トマトが赤くなりました。
もう少し熟れてから取ることにします。
昨日はキュウリ、今日はトマト、夏野菜がとれ出しました。
次はナスです。
ナスは花をつけましたが、実はまだです。
 
輝く5月が過ぎて梅雨の6月がもうすぐです。
5月の天候は輝きましたが、自分の仕事は輝きがありませんでした。
6月には目標達成させ、輝く6月にしたいものです。

         5月28日(月)晴れ
        47階レストランで食事をしましたイメージ 1
団体貸し切りバスで浦安市に行きました。
遊びではなく、仕事です。
バスの座席から眺める景色は久々です。
日頃見ている風景も、新鮮に感じます。
苗がすっかり伸びた田んぼに初夏を感じます。
道脇の土手には白い花が、今を盛りに咲き誇っています。
花の名前にうといですが、おそらく卯の花でしょう。
♪ 卯の花の匂う 垣根に
  時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
  忍び音もらす 夏は来ぬ
でも待てよ、ホトトギスの声をまだ今年は聴いていません。
緑の山や田んぼや野を見ながらバスは進みます。
やがて、山や田んぼがの緑が少なくなって、都会の景色です。
 
昼食は幕張のAホテルの47階レストラン。
バイキング(今はビュッフェというのですか?)でした。
食事よりも47階から眺める景色が新鮮でした。
マリーン球場、こんなに近くで見るのは初めて。
千葉県に住んでいながらマリーン球場行ったことありません。
「ほんと海がすぐそばなんですね」
「これじゃ、風が強いはずですねー。野手泣かせの球場ってこれなんですね」
「マリーン球場名物の海の風ですね・・・」
イメージ 2
高い所から眺める景色に、ついついはしゃぎました。
「お酒を飲みながらの夜景は、もっと感動的ですよ」
と説明してもらいました。
夜景を眺める機会はなくなっています。
9時、10時に就寝し、朝4時、5時に起きる生活がすっかり定着しました。
すっかり健康的な朝方人間になりました。

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