じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2013年12月

            12月31日(月)晴れ
            2013年、ケガも病気もなく過ごせたことに感謝です。
冷え込んで寒い寒い朝でした。
霜がビッシリ降りていました。
畑にも車にも・・・、そして海岸の砂浜も。
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6時から6時40分まで歩きました。
いつもなら体操の時間の20分間を歩きました。
おかげで朝だけで5179歩も歩きました。
朝だけで5000歩以上も歩いたのは、初めてです。
何だか嬉しい。
今朝も風がなく、清水川に映る景色が美しい。
いつものように、清水川と遊月橋の景色が美しい。
今年、何度も撮った朝の風景ですが、あまりの美しさに今朝もシャッタをおしました。
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2013年は今日一日で終わりか・・・。
夕食時は年越しそばを食べながら1年をふり返りました。
「こうして夕食を美味しく食べられる。最高の幸せだよなあ」
「今年はカゼ引いたくらいかな、健康だったよなあ」
「病気したら、食事だって美味しくないもん・・・」
「美味しく食べられるって一番だよなあ」
「腰もここにきて調子良いし」
「みんな健康で年を越せるし」
 2013年、ケガも病気もなく過ごせたことに感謝です。
拙いブログを訪問してくださったみなさん、1年間ありがとうございました。
素晴らしい新年2014年をお迎えください。
            2013年12月31日 午後6時57分
 

          12月30日(月)晴れ
         本をブックオフへ持っていきました。心を整え、清めて正月を迎えます。

「人生がときめく片づけの魔法2」近藤真理恵著を読みました。
今回はパート2ですが、以前パート1も読みました。
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片付けのハウツウ本ですが、とても哲学的です。
モノが増えたり散らかったりするのは100パーセント、自分の責任。・・・(略)・・・「いつの間にか知らないうちに散らかる」のはすべて自分のせいです。要するに片付けは、自分と向き合う行為といえます。
これに対して「いつの間にか知らないうちにたまっていく」のが汚れです。ホコリなどの汚れが徐々にたまってしまうのは、いわば「自然の摂理」です。つまり掃除は自然と向き合う行為といえます。
この本の影響なのか、倉庫の本を処分しました。
資源ゴミ収集日に出せば解決するのですが、何だか新聞紙やダンボールと違うのです。
どうしてでしょうか。
ゴミ収集日に出すのにチュウチョしてしまいます。
取っておいても、もう読まないこともわかるのですがゴミと同じように捨てるのが忍びないのです。ダンボール箱8個、約250冊の本をM市のブックオフへ持っていきました。
買ったときの値段にすれば20万円は越えています。
これが、いくらだと思いますか?
何と、なんと、次のような明細でした。
30円×16冊  =480円
20円× 4冊  =  80円
 5円×71冊 =355円
       計         915円
約150冊は1円にもなりませんでした。
でも、不思議と満足感に満たされていました。
倉庫が片付いたからでしょうか。
本が誰かにまた読まれるという気持ちからでしょうか。
書き込みした本やアンダラインの本はまだ残っています。
次の資源ゴミの日に出す予定です。
お寺の修行には、掃除はあっても、片づけはありません。
片づけは心を整えることで、清掃は心を清めることともいえるでしょう。
明日は今年最後のゴミ収集日です。
心を整え、清めて正月を迎えたいと思っています。

        12月29日(日)晴れ
    素晴らしい人に出会えた平成25年でした
薄暗いなか、いつものようにラジオ体操が終わりました。
「みなさん、お知らせがあります」
・・・ええ、何だろう。
「年内のラジオ体操は今日で終わりにし、正月の3日までお休みにします。・・・それでは今年最後の発声練習です」
 平成25年最後の発声です。
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「あああー・・・・おおおー・・・・」
まだ陽の上がらない海に向かって、今年最大の声をはりあげました。
「ラジオ体操も、正月休みあるんですね」
「そうねえ、体操も正月は世間並みにお休みですよ」
「あれ、年中無休じゃないんですか」
「お盆は営業だけど正月は休業ですよ」
・・・そんなわけで、明日30日から新年3日まで、朝のラジオ体操が休みになります。
「お世話になりました。また来年よろしくお願いします」
「お世話様でした。良いお年を・・・」
「ありがとうございました。良い正月を・・・」
あいさつを交わしながら今年最後のラジオ体操が終了しました。
「・・・素晴らしい皆さんと巡り会え、素晴らしい環境で生活でき、いい年でした。・・・よいお年をお迎えください」
今年、当地に移住されたAさん77歳の弁です。
毎朝、海岸のゴミ拾い、ラジオ体操で使うラジカセの準備をしてくださいます。
立派な人です。
素晴らしい人に出会えた平成25年でした。
明日の朝はどうしよう、散歩だけでもしようかな。
 

       12月28日(土)晴れ
       自分の10大ニュースを考えました
日本海側は雪だそすですが、太平洋側の当地は今朝も朝から晴れています。
でも、大気は冷たいです。
窓越しに入ってくる太陽を浴びていると心地よいですが、外は寒いです。
午後の散歩に出かけると、寒い寒い。
走らなければ寒くてなりません。
海岸は今日も中学生・高校生の合宿でいっぱいです。
陸上部でしょうか、短パンで走っています。
朝6時の散歩の時も走っていました。
若さですね、一日走っていても、翌日また走ることができるとは。
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大気は冷たいが、風はありません。
雲が川面に映っています。
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海辺にはカモメの群が旋回しています。
今日はいちだんと大きな大群です。
散歩や釣り人が通る旅に舞っています。
今日は人出が多く、舞う回数が多いので疲れるでしょう。
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正月用の注連縄を編みました。
秋にIさんからいただいた藁で、神棚、仏様、水神様、台所、玄関、床の間用にと、6連の注連縄を編みました。
あれ?
注連縄を数える単位は「連」でいいのでしょうか。
玄関の扉用のお飾りはダイダイやウラジロなどが付き豪華なので作れません。
市販のお飾りを買ってきました。
もうすぐ大晦日、正月がやってきます。
クリスマスと同じように、幼い時のようなワクワク感も湧いてきません。
これが大人になる、歳を取るということなんでしょうか。
 
「平成25年自分の10大ニュース」を考えました。
何と言っても朝のラジオ体操が習慣化されてことです。
365日のうち280日くらいは出席したかな?
このブログも結構書いたかな?
飽きっぽく三日坊主の自分が、こんなにつづくとは少し驚きです。
何だか自分で自分をほめたい気分です。
 

        12月27日(金)雨
        神様は63歳以上を見放したのでしょうか?
平成25年も残すところ5日となりました。
新しい平成26年がやってきます。
年のはじめは初詣です。
先日、新聞の折り込みチラシに初詣のチラシが入っていました。
チラシの裏に「平成26年厄年表」が載っていました。
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「厄年って数え年で計算するんだよなあ」
「なぜ、厄年ってあるんだろうね」
「そりゃあ、その年頃に体の変化が起こりやすいってことでしょう。だから気をつけようということでしょう」
「昭和28年生まれは62歳で、男女とも厄年なんだ」
「昭和28年生まれが62歳か・・・歳だね・・・」
すでに62歳を過ぎて、自分はもっと年寄りなのに、62歳という年齢が老人に感じます。
表を見ながら言いました。
「あれ、63歳以上はもう厄ってないのかねえ」
「・・・63歳以上になると、もう体の大きな変化ってないのでしょう」
「いつ死んでもおかしくないということなんかねえ」
「・・・そういう意味でもないでしょうが」
「そうじゃない。表に出ていないということは神様は63歳以上は見放したっていうことでしょう。人を救済するのが神様でしょう・・・それなのに」
「何、怒っているだよ」
「いや、怒っているわけではないが・・・ただ・・・」
ただ、そうなんです。
63歳以上が表に載っていないのは、世間から無視されているような心持ちになったのです。
自分勝手でわがままになる、年寄りの証拠ですねえ。
 

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