じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2014年01月

      1月25日(土)晴れ
   暖かい陽気でした。春の背中が見えてきました
今日は4月の陽気になるとニュースで言っていました。
しかし、この陽気4月かな?という陽気でした。
昼の散歩に出かけました。
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いつものようにダウンジャケットにユニクロの暖パンという出で立ちです。
たちまち暑くなりました。
観光客もたくさん見えています。
月の沙漠記念館の駐車場もバイクや車が久々にたくさん駐車していました。
早春という雰囲気です。
遊月橋の鯉、ハトに餌をあげる光景はのどかです。
ベンチに腰かけて読書している人もいます。
渚には今日もカモメが群れています。
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人が通ると一斉に飛び立ちます。
飛び立つ瞬間は絵になります。
今日もカメラを構えました。
めいいっぱいズームして撮影。
出来上がった写真は何だか暗いです。
実際の風景は明るく美しいです。
最近、他の人のブログ写真を見ると美しいのに感動します。
やはり一眼レフのカメラってスゴイ高性能ですね。
カメラの性能ではなく撮影の腕ですって?
そうですね、失礼なことを言ってすみません。
カメラ撮影仕方の本を購入した方がいいのかも?
夕方は暖かいです。
4月の陽気かも。
何だか春の背中が見えてきたようです。
 

 

     1月24日(金)晴れ
   寒い夜は燗酒~小さな幸せは無限に隠れている~
寒さが緩み、肌を刺すような空気がやわらかく感じる日でした。
3月上旬の気温だったそうです。
少しずつ少しずつ春に近づいている気配を感じています。
これが三寒四温というものでしょうか。
でも、まだまだ寒さは続きそうです。
そんな寒さを吹っ飛ばすような新聞記事(1月23日朝日新聞朝刊)に昨日出会いました。
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「私たちは経済成長とともに『ある』幸せを求めてきた。金がある。電気がある。暖房がある。ああ幸せ!それに慣れると『ない』ことを恐れるようになる。でも実は、『ない』中にも小さな幸せは無限に隠れているのだ」
寒い外から帰宅して寒い部屋で「熱燗」を飲む。
・・・暖房の利いた部屋では味わえない幸福だ、と言っています。
わあー、いいねー、いいねー、熱燗。
身体の内側から温める、熱燗。
寒い日には熱燗。
朝刊を読んでから熱燗が気になってしかたがありませんでした。
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昨夜は、今年最後になるであろう新年会がありました。
会場は割烹旅館でした。
朝から気になっていた熱燗を飲みました。
フグヒレの熱燗です。
日本酒の熱燗なんて久々です。
酔いがまわりました。
二次会はカラオケ。
カラオケに行ったのも久しぶりでした。
帰宅したのは、もうそろそろ23日が終わろうとする時刻でした。
そんなわけで、昨日はブログ更新できませんでした。
熱燗、思いのほか酔いがまわりました。
考えてみたら寒い所ではなく、エアコンの効いた暖かい部屋での飲酒でした。
だめですね、熱燗だけ真似ては。
「暖房ゼロ生活」に幸せをみつけ、「寒い寒い生活にも小さな幸せは無限に隠れているのだ」という、なんてステキな人なんでしょう。
寒さを嘆いてばかりいないで、幸せを見つけます。
温かい風呂なんか、寒い冬でなければ感じられない小さな幸せかな。
今日は風呂をじっくり楽しみます。

 

      1月22日(水)晴れ
   頼朝伝説に思いを馳せながら散歩しました
ぬけるような晴天です。
当地よりさらに南の鴨川に行ってきました。
用をすませ時間つぶしに海岸へ。
イメージ 1市営の駐車場でしょうか、広い駐車場に車を止めしばらく海を眺めます。
太陽が照りつけて車内は暑い暑い。
そこで海に沿って延びる散歩コースを30分ほど歩きました。
ここの地名は「待崎(まつざき)」です。
「崎(みさき)で待つ」という意味があるそうです。
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だれが誰を待ったか?
源頼朝伝説に由来しているそうです。
「石橋山(三浦半島)の戦い」に敗れた頼朝が小舟で房総に逃げてきます。
ここ鴨川で房総の有力な豪族、上総の上総介広常(かずさのすけひろつね)と下総の千葉常胤(ちばつねたね)に援軍依頼の書状を書きます。
重臣に書状を託し、上総介広常と千葉常胤からの返事を今か今かとこの海岸で待ちました。
そこで、ここは「崎で待つ」、「待﨑」なんだそうです。
依頼の結果は、千葉常胤はこころよく援軍を出しました。
しかし、上総介広常はすぐに援軍を出さず、遅れて2万の援軍を出しました。
頼朝軍は3千でした。
広常はわが大軍で頼朝に代わって天下を取ろうというふたごころをいだいていたのです。
ところが頼朝は遅参した広常を「バカ者、遅参とは何事だ。兵を連れて上総に帰れ」と激怒します。
この頼朝の態度に感銘し「頼朝様こそわが主君」と、広常は頼朝に忠誠をを誓います。
2万の兵を持つ広常の援軍のおかげで、頼朝は鎌倉に幕府を開き天下人になります。
しかし、猜疑心の強い頼朝は「広常はいつか必ず反逆してくると」、家臣の梶原景時に命じて暗殺してしまいます。
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ここ鴨川「待崎」は源頼朝が援軍の返事を今か今かと待った所です。
そんな頼朝伝説に思いを馳せながら散歩するのは本当に楽しいことです。
他にも鴨川には頼朝伝説がたくさんあります。

 

      1月20日(火)晴れ
      火鉢のあった生活?
昨日より今日の気温は2度高いそうです。
部屋の中にいれば、さほど寒さを感じません。
「エアコンやファンヒーターのなかった時代はコタツだったよね」
「でも、それほど寒く感じなかったね」
「いや、寒かったよ。わが家の造りが悪かったのかなあー」
「コタツに入った足は温かいが、背中がゾクゾクしていたよな」
「そうかねえ、寒かったかね。・・・そういえばコタツのほかに火鉢があっったよ」
「火鉢ねえ、祖父は火鉢だけだっったかね」
社会の変化とと共に暖房器具も変化しています。
スイッチ一つで部屋が暖かくなる時代です。
本当に便利になりました。

昭和30年代、私の生活もコタツと火鉢時代がありました。
石油ストーブがわが家に入ったのは30年代後半だったと記憶しています。
冬のコタツ、火鉢の生活が記憶から遠くなっています。
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今年80歳のM子さんが先日「高校時代の日記が見つかりましたよ」と見せてくださいました。
当時(昭和26年)、夷隅高校2年生17歳女生徒の日記です。
この日記に「火鉢」が登場しています。
     12月月31日 月曜日
 今年最後の今日、又新しい昭和二十七年が明日に控えている。・・・略・・・三課程合同で行われた運動会、文化祭、暑い最中に流しながら体操、ダンスの練習・・・。暗くなるまで手芸や被服を一生懸命にしたことなど次々に思い出される。いろいろ思い浮かべているとラジオでいよいよ演芸が始まったらしい。今年こそは十二時まで起きていて除夜の鐘を聞こうと思って温かい日なので火鉢に火を取って、姉、兄、母と共に蜜柑を食べながら雑談していた。父はあまりうるさいと言ってとうとう起きてしまった。ラジオなど聞かずに話をするのに夢中になっってしまっった。蜜柑を食べすぎたらしく腹がぶくぶくしてきた。お腹をこわしてはいけないと思いながら知らず知らず食べてしまった。いつもなら十時頃になって来ると眠たくて困ってしまうのだが今晩は全然ねむたくない。
 そのうちにラジオから蛍の光のメロディー聞こえて来た。除夜の鐘が聞こえだした。「では片づけて寝ることにしよう」と言ったので、散らかっている物を片づけて日記を書いて寝る。
   行く年を
      名残惜しみつ
           晦日そば
 
Mさんは冬休みの宿題で書いたそうです。
日記がその当時の生活や社会を良く物語っています。
昭和26年の大晦日。
家庭の娯楽はテレビではなくラジオだったようです。
NHKの紅白歌合戦はまだ行われtいませんでした。
「ラジオの演芸」というのは、紅白の前身のように思われます。
暖房はファンヒーターでもエアコンでもなく火鉢だったようです。
蜜柑と除夜の鐘は現在と同じです。
17歳の日記、達筆です。
最後の俳句もいいですね。
火鉢のあった頃の生活も、「火鉢」そのものも忘れ去られようとしています。
Mさん貴重な日記ありがとうございました。
 
 
 

      1月20日(月)晴れ
      今日から大寒
大寒に入りました。
寒い寒い、独り言をつぶやきながら朝の散歩とラジオ体操へ。
月が出ています。
風もない静かな朝です。
漁り火が遠くで光っています。
今朝の海は凪、船の数が1,2,3・・・・ざっと10隻は出漁しています。
この漁り火を写真に撮りたいのですが、私の安いカメラでは写りません。
高価な性能の良いカメラを買っても使いこなすことはできませんので我慢します。
清水川の川面も鏡のように澄んでいます。
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月が川面に映っています。
川に沿って歩道が延びています。
私が歩くと、川面の月も私を伴走するように一緒に動きます。
足早に歩くと月も急ぎます。
私が走ると月も走ります。
遠い遠い昔、少年の頃、月夜の夜に同じ経験をしたのを思い出しました。
とっても不思議でした。
実は今も不思議です。
なぜこんな現象が起こるのか説明できません、50年前と同じです。
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ラジオ体操は月の下です。
チラチラ空を見ながらの体操です。
もう少し明るくなったら写真もきれいに撮れるだろうと時間の経過を待ちながらラジオ体操。
・・・あああ、雲がどんんどん出てきます。
月が雲に覆われてしまいます。
急いで月とラジオ体操している人物を入れてパチリ、パチリ、シャッターを切りました。
 
昼の散歩は大寒が嘘のように穏やかな日差しでした。
海岸を散歩する人がいつもに比べ多かったです。
 
 
 
 
 

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