じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2014年05月

        5月26日(月)晴れ
        可憐なニワゼキショウが咲いています
草の生長がスゴイ。
今年こそは雑草を生やさないで緑の芝生を保とう、と春先までは丹念に雑草取りをしました。
でも、最近は畑の草取りが優先し、芝の雑草取りは後回し。
おかげで、雑草が伸びほうだい。
芝生ではなくて、雑草庭と呼ぶ方がふさわしくなって来ました。
ここまで雑草がはびこって来ると、手で取り除くのは不可能です。
草刈り機で、芝生と一緒に雑草も刈ってしまう予定です。
少年の頃、アメリカ映画で見た芝の庭園に憧れました。
そんなわけで、「芝の手入れは大変だぞ」と言われながらも、芝の庭にしました。
手入れが大変、今、実感しています。
かわいらしい小さい花が芝生に咲き出しました。
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雑草なんでしょうが、刈り取ってしまうのが惜しいくらい可憐な花です。
この時期になると、毎年咲きます。
名前は知りません。
「芝庭づくり」という本に「芝生に生える雑草リスト」というページに出ていました。
 ニワゼキショウ、漢字で書くとの「庭石菖」。
花言葉は「繁栄、豊富、豊かな感情」「愛らしい人」「きらめき」。
繁栄、豊富、豊かな感情」の言葉は、群落を作って次々咲くことからイメージしたんでしょうね。
清楚な和風感漂う花ですが、帰化植物だそうです。
芝への影響は少なく、こまめに芝刈りをすれば自然に消滅する、書かれていました。
しばらく、花を楽しんで芝と一緒に今週末に刈ることにします。
今夜の天気予報は雨。
作物には恵みの雨です。
と言うことは、雑草にも恵みの雨ですねえ。
 

           5月25日(日)晴れ
     豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国豊である
北関東は気温30度になる夏日の所がたくさんあったと、ニュースに流れていたが、当地は25度前後。
過ごしやすい一日でした。
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昨日の朝日新聞「大飯原発の差し止めを命じた福井地裁の判決」が心に残っています。
・原発の運転停止によって貿易赤字が出るとしても、国富の喪失というべきではない。
・豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国豊であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である。
そして、新聞には読者や市民のの意見が載っていました。
・経済よりも生活に寄り添った論理がすてき。
・こういう考えに基づいて、こういう結論を出せる人が、本当にかっこいい人。
・政治不信でニュースを見ないようにしていたけど、やっと安心して読めるニュースに出会った。
・「やっぱり人の命が一番大事だよね」と良い影響が広がってほしい。
・法律屋さんに先に書かれたのが口惜しい。経済学者が先に書かなければならなかった。
・経済か生活かの2項対立がおかしい。震災後の価値観にあった経済学をいまだに作れていない。
・命が大切という当たり前のことを判決が言ってくれた。
・人格権より価値あるものはないと言ってくれた判決に感謝しています。
・原発は地震大国日本にはそぐわない。
もやもやしていた原発問題でしたが、考える視点がここにあるように思います。
多くの日本人が福地裁判決に同感しているんですねえ。
でも、企業人の多くは経済優先、それには原発容認なんでしょうか。
それにしても、かっこう良い判決です。
判決に、裁判長に大きな大きな拍手をおくります。

      5月24日(土)晴れ
      ソラミズの下、「民話さんぽ」でした
朝、出かけに母が言いました。
「今日はソラミズで良かったね」
「そう、今日はソラミズだよ。良かったよ」と応えました。
「ソラミズ」は漢字で書くと「空見ず」。
直訳すると「今日一日空を見ないですむよ」という意味。
つまり、「いつ雨が降るか、そろそろ降って来るだろかと、天気の心配をしなくて良いよね」という意味です。
ソラミズのもと、今日は「夷隅民話の会」の「民話さんぽ」でした。
バスで民話の舞台をめぐる日です。
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外の行事は天気が左右します。
空は5月晴れ。
風は薫風。
山は新緑。
いや、もう万緑ですかねえ。
木漏れ日。
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これ以上の自然条件はないという日でした。
参加者は21名。
ハプニングが起きながらも、無事終了。
行事が終わるたびに、終わったという安堵感と、ああすれば良かったという反省というか、後悔の念がいつものようにわいてきます。
同時に、会員や参加者のみなさんの協力、温かい心が実にありがたく感じられます。
「ありがとうございました。お世話になりました。本当に楽しかったです」の言葉が嬉しいです。
「こちらこそありがとうございました。また企画しますので、参加してください」の言葉にも力が入ります。
参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。
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         5月23日(金)曇りのち晴れ
        グミの木
が実をつけました
庭のビックリグミが赤い実をつけました。
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赤くなっているのが、1個2個、3個・・・6個ほどです。
これから赤く熟れる青い実を探しますが、あまり見あたりません。
青い葉っぱにまぎれて目だたないのかも知れませんが、今年は不作のようです。
やはり、春先の寒さのせいでしょうか?
サクランボも不作でしたがビックリグミも不作です。
赤い実をとって食べました。
渋くて甘くて、懐かしい味です。
小学生の時に味わった、渋甘(しぶあま)は健在でした。
グミの木は生長が早いです。
10年くらい前に挿し木でもらった10センチほどの苗が、2メートル程になりました。
あまり生長が早いので、先端を毎年剪定しているのです。
でも、新しい枝がグングン伸びています。
あれ、実がつかないのは、ヒョウットしたら剪定がまずかったのかな?
 
アンズが気になり、木の下で実を数えました。
10日ほど前は、10個くらい実っていたのに、今日は5個しか見あたりません。
木の下を見ると、実がずいぶん落ちていました。
残りの5個が完熟してくれることを願っています。
 
スモモは全滅かと思っていたら、1個なっていました。
 

           5月22日(木)晴れのち雨
      優先すべきは「生存にかかわる人格権」,原発はそれより低く置かれるべきだ
今朝の朝日新聞、朝刊一面に「大飯再稼働認めず」の文字が踊っていました。
「生存の権利と電気代『同列にできず』」の言葉に心引かれ,大興奮しました。
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むかしむかしのおばさんの言葉を思い出していました。
「バナナとおばさん、どちらが好き?」
返答に困って、しばらく沈黙。
いつも心温かく親切なおばさんも好き。
めったに口にすることができない高価なバナナも好き。
考えれば考えるほど、応えが出せませんでした。
困っていると、母が「両方とも好きだね」と助け船を出してくれました。
それ以来、「両方とも好き」という答えがあることを知りました。              
「どちらが?」と問われているので、正確には白黒つけなければいけないと、心の片隅では思っていました。
そして、自分が父親になると、この手の質問を子どもにも投げかけたものです。
「このオモチャとお父さんどちらが好き?」
私が子どもの頃悩んだように、わが子も悩んでいるようで、沈黙が続きました。
この手の質問を重ねるとやがてわが子は「お父さんよりオモチャが好き」とオウム返しに言うようになりました。
この手の問いに答えにくかった理由が今朝、(ああ、そうなんだ。これなんだ)と納得しました。
そう、「人間の生存権と電気代はどっちが大事?」は「お父さんとオモチャはどっちが好き?」に何だか似ているような気がしてなりません。
なぜなら「同列」に考えることではないんですね。
「生存の権利と電気代『同列にできず』」という言葉に半世紀前の宿題の答えが出ました。
 
・関電は、原発の稼働が電力供給の安全性につながるというが、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題と並べた議論の当否を判断すること自体、法的には許されない
優先すべきは「生存にかかわる人格権」で、発電の一手段でしかない原発はそれより低く置かれるべきだとしている。「稼働コストの低減につながる」といった、電気代と住民の安全を同列に考えるべきではない指摘。
明快な答えです。
すごい、すごい、さすが裁判長。
・「生存を基礎とする人格権は法分野において再興の価値をもつ」と述べ差し止めの判断基準として「新規制基準への適否ではなく、福島事故のような事態を招く具体的な危険性があるか」を挙げた。
大興奮した朝でした。

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