じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2017年08月

気合いを入れなくちゃアー
8月24日(木)晴れ
風も止まって、暑い1日でした。
窓を開けても風が入ってきません。
「暑い、暑い」を連呼した一日でした。
外に出ると真夏の太陽が容赦なく照りつけます。
「こんな日は家の中で・・・腰痛もあるし・・・」
テレビの前でゴロゴロ。

・・・午後6時30分・・・海岸へ散歩。
日没が早くなり、6時30分はもう暗い季節です。
西の空に眉月です。
椰子の実の上に出る月、南国情緒タップリです。
海岸に出ると風があります。
この風を求めてでしょう、人出もボチボチ。
いつもの散歩は海岸通りですが、今日は波打ち際まで行きました。
海に映る街灯が美しい。
 
「自由、選択肢がたくさんあることが最高の幸せ」
よく聞きます。
正にオッサンの今の立場です。
現役で働いていたときは、嫌でも勤めです。出勤です。
自由がありすぎると、暑い暑いとダラダラした時間を過ごしてしまいます。
運動も畑もせず、ダラダラ一日でした。
自由な時間、多い選択肢がいっぱいです。
一日が終わりパソコンに向かった時に、「充実した一日だった」と言える日にしたいものです。
明日は今日よりも暑くなるそうです。
気合いを入れなくちゃあー。

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相変わらずドジなオッサンです
8月22日(火)晴れ
暑い一日でした。
予報では雨が降る、降ると言われているのに当地は降りません。
昨日、隣町は降ったのに、わが町は降りませんでした。
今日も蒸し暑い一日。
動かなくてもジワーとした汗が噴き出てきます。

午後、自転車で接骨院に行きました。
午後行くのは初めてです。
午後の診察は午後2時からと思って行くと、午後3時からでした。
仕方なく引き返し、午後3時になったのでまた自転車で出かけました。
自転車を止め、ポケットを確かめて玄関へ。
(あれ、診察券、お金がありません)
(診察券忘れましたなら言えるけど・・・お金忘れました・・・?)
ま、いいや、いい運動だ。もう一度戻るか。
そんなわけで、また家に戻りました、
汗をかきながらまた接骨院へ。
汗ビッショリです。
待合室のエアコンの前に立ってしばらく涼みました。
でも汗が引きません。
名前を呼ばれて診察室へ。
ハンカチで汗をふきながら言いました。
「自転車で来たので汗かいて・・・」
「自転車はいい運動になりますよね・・・」
確かに、いい運動になりますが、これで3回目なんです、とも言えません。
「ホントいい運動になります。汗ビッショリです・・・」
「扇風機そちらへ向けますよ・・・」
「いや、大丈夫です・・・汗引きましたので」
「でも、あったほうがいいでしょう」
扇風機独り占めでした。
相変わらずドジなオッサンです。
 
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老いた身には暑さはこたえます
8月21日(月)曇りのち晴れ
海岸まで来るといつもさわやかな風が吹いているのですが、今日はありません。
蒸し暑いです。
雲間より薄陽が射すと、さらに暑くなります。
20分の体操が終わる頃は汗がジンワリ。
日中は太陽がジリジリ・・・。
洗濯係は「想定外」と喜んでいます。
畑係、さすがに今日は中止です。
接骨院へ行って腰の治療です。
ホント楽になります。
昼寝が1時間20分、いつもより1時間も長いです。
原因は昨夜蚊に悩まされて、睡眠時間が短かったせいです。
大きなイビキをかいて眠っていたらしい。
週の始め、現役の勤め人はこの暑さの中大変でしょう。
なのに、定年オッサンは何と優雅な・・・。
老いた身には暑さはこたえます。

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スイカやられました
8月20日(日)曇り
毎朝、生長を見るのが楽しみでした。
今朝も、散歩に行く前に「どのくらい大きくなっているか?」と。
何、なんと、やられていました。
この食べ方ならカラスですかねえー。
 
実は食べたミニスイカの皮を肥料になるだろうと、畑に穴を掘って埋めました。
その種が芽を出して育っていました。
ま、ダメもとでいいや、育てばー儲けもの、と喜んでいました。
葉が伸び、実を二つ付けた時は一段と嬉しくて・・・。
雨が降らない日は毎朝水をやって、化成肥料もやって大きく育てと大事にしていました。
朝起きて庭に出ると、まず最初に眺めるのが日課になっていました・・・
直径15cm程になっていました。
ミニスイカなのでそろそろ食べ頃かな、と思っていただけにショックです。
もう1個の実は、黒くなって枯れてしまいました。
ま、自然に生えたスイカ・・・観賞できたことを喜ばなければ。
来年はスイカの苗を購入して本格的に挑戦してみようかな。

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足るを知る
8月19日(土)曇り
お寺の施餓鬼でした。
寺の世話人なので出かけました。
しかし施餓鬼の意味もよく分かりません。
ネットで調べてみました。
施餓鬼会の由来
お釈迦様の弟子の十大弟子の一人、阿難(あなん)のお話です。阿難が一人で坐禅をしていると、突然目の前に餓鬼が現れました。手足が針金のように細く、髪は逆立ち口から炎を吐くその餓鬼は「三日のうちにお前は死ぬ。そして私のような醜い餓鬼となるだろう」と阿難に告げました。
阿難は驚き、お釈迦様に相談しました。お釈迦様は、「山海の新鮮な食物をお供えし、法要を営みなさい。お経の法力で供物は無量に増し、多くの餓鬼に施され、救われます。そして、施主であるあなたの寿命も延び、仏の道を悟ることができるでしょう。」とお答えになりました。こうして、阿難が餓鬼を供養したのが、施餓鬼会の始まりだとされています。
この阿難尊者のお話は、「救抜焔口餓鬼陀羅尼経(くばつえんくがきだらにきょう)」というお経に説かれているそうです。
  ここに出てくる餓鬼とは、仏教に説かれる十界の内の、地獄・餓鬼・畜生という「三悪趣」の一つで、飢えと渇きに苦しむ者のことです。
食べ物や飲み物を口に入れようとしても、すべて燃えてしまうので、お腹がいっぱいになることがないのです。イメージ 2
なぜすべて燃えてしまうのでしょうか。
餓鬼は恒河(ガンジス川)を火と見る。
人は水と見る。
天人は甘露と見る。
水は一なれども果報に随(したが)いて別別なり。
つまり、感謝の思いを持っていただけば、ただの水も最上の飲み物になり、自分の欲に振り回されていると、いくら飲んでも満たされず、水が火に見えるということでしょう。
  もちろん生きている限り、全ての欲を捨て去るなんてことはできません。しかし、必要以上にに物を求めることは苦を生じる原因です。
これを求不得苦(ぐふとくく);欲しい欲しいと思っても、それが手に入らないという苦しみ。
「知足(足るを知る)」という、いま有るもののありがたさに目覚めることである。
自分の境遇に感謝の気持ちを持って日々を暮らす、ということが「足るを知る」という態度なのでしょう。
  阿難が出会った焔口餓鬼とは、自分の心の中にある「欲」なのでしょう。
 
阿難が救われたということは、簡単にいえば、ちょっと立ち止まって自分本位の「欲」に振り回されている状態に気づいた、ということなのでしょう。
 
仏壇に飾られた漢文が気になって仕方ありませんでした。
意味が分かれば、なるほどおもしろい

如以甘露灑(にょいかんろしゃ)
  甘露(かんろ)の以(もっ)て灑(そそ)ぐに
   甘露とはおいしい飲み物を例える
除熱得清涼(じょねっとくしょうりょう)
  熱を除いて清涼を得るが如(ごと)くならん
如従飢国来(にょじゅうけこくらい)
  飢えたる国より来()たって
忽遇大王膳(こつぐだいおうぜん)
  (たちま)ちに大王の膳(ぜん)に遇()はん

 
甘露をそそがれることにより
熱が除かれ清涼を得るがごとく
飢餓の国から来た人が
たちまち最高のご馳走の前に座るがごとく。


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