じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2017年09月

「9月」「ひよっこ」が今日で終わり
9月30日(土)曇り
きょうで9月が終わり。
朝ドラ「ひよっこ」もきょうが最終回。
半年間楽しませてもらいました。
朝からほっこり、温かな気持ちにさせてくれたドラ朝ドラでした。
「生きることは苦しみもあるが楽しいこと」「明日に希望や夢を抱くのが人生」こんな前向きにさせてくれた朝ドラでした。
「涙くんさよなら」の歌も懐かしい。
こんな素晴らしい歌詞だったんだ・・・最終回にピッタリ。
岡田恵和さんスゴイ。
「ちゅらさん」「おひさま」に続き3本目の朝ドラ脚本だとか。
岡田さんが今回の朝ドラに対するコメントです。

おそらくあの時代の地方に住む子たちは、集団就職のときに初めて故郷を出て、東京を見た子たちが多かったと思います。その生活は大変だった、苦労していたなどということばかりが取り上げられてきましたが、若い子たちが集団生活をしているのならば、それなりの楽しさや友情が生まれたりしたと思います。僕はそれをちゃんと伝えたいなと思いましたし、戦後、東京がこれだけの発展を遂げたのは、彼女、彼ら“歴史に取り上げられない人”たちがいたからだと思うのです。その中の代表選手としてみね子をヒロインにしたいなという思いもありました。

同時代を知っているせいか、熱中してみました。
ヒョッとしたら1回も欠かさず観たのではないかと思います。
「暇でうらやましい」ですって、確かに「暇」なのかも?
9月最後の日、ミニトマト収穫しました。
まだこんなに穫れます。
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「天高く馬肥ゆる秋」
9月29日(金)晴れ
空が高く爽やかな1日でした。
正に、「天高く馬肥ゆる秋」です。
「空は高くて爽やかな秋、馬たちがのんびりと牧草を食べている。食べ過ぎて馬も太る秋」というイメージでした。
ところが過日、そんな優雅な意味じゃないんだということを聞きました。
「秋至れば馬肥え、弓勁(つよ)く、即ち塞(さい)に入る」ということばが元だとか。
「夏に草をたくさん食べて肥えた馬。その肥えた頑強な馬に乗った匈奴(北方の遊牧民)たちが強い弓を持って攻め込んで来るよ。だから心を戒めて防戦の準備をしなさい」という警告のことばだそうです。
へえー、そうなんだ・・・目から鱗でした。
爽やかな秋、食欲の秋を表現しているのではなかったんだ。
昔は外からの敵、「戦から身を守る準備をしなさい」。
現代は内の敵、「食べ過ぎてメタボにならないように注意しなさい」。
どちらのことばも「注意、警告」のことばで共通しています。

この季節、朱い柿の実が秋空に映える景色が大好きです。
「天高くオッサン肥ゆる秋」
今年もめいいっぱいオッサンの身体を低くして、低い柿の木になる柿実を写真に撮りました。
明日、明後日は高気圧に覆われ、行楽日和とか。
オッサンは畑日和です。
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お祭りと「ほうちょうもち」
9月28日(木)雨
昨夜から雨。
止んだかと思うと、また降り出す。
降ってきたかと思うと、また止む。
おまけに蒸し暑い。
座っているだけで、ジメジメする蒸し暑さ。
気分も滅入って来るような陽気でした。
テレビでは当町を含む千葉県各地に、崖崩や洪水注意報や避難状況がテロップで流れています。
幸い、被害はありません
 
雨が止むと、お囃子の音が、時々聞こえます。
そう、今日は当町のお祭りです。
お囃子の音が大きくなってきました。
写真を撮ろうとベランダへ。
大人に見守られた「子ども神輿」です。
隣のI市は「関東随一のお祭り」と宣伝。
K市はローカルテレビでも放映される大きなお祭りです。
その間に挟まれた当町のお祭りは、マスコミとは縁遠い小さなお祭りです。
でも、オッサンはこの小さなお祭りの方が好きです。
 
祭りというと当地は「ほうちょうもち」というのを食べます。
今年も0さんが届けてくださいました。
庖丁の形に似ているから「ほうちょうもち」とばかり思っていました。
お祭りや祝に食べる物なので、「悪を庖丁で切り、幸せを招く」なんて勝手に思っていました。
何と、ほうちょうもちはアワビのチョウ「鮑腸餅」と書くのだそうです。
起源は、紀伊地方から渡ってきた漁師が鮑(アワビ)が大漁だったことに感謝し、祭りのときに地元の神社に代用品と奉納したのが始まりだそうです。
本来は白と緑の2色の食べ物だそうです。
白色は身、緑色は内臓をイメージしており、縁起のいい腹合わせの意味を持つそうです。
ヒャー、そうだったんですか。
そして、民話好きのオッサンを喜ばせるためか、こんな話も。

昔々のことでした。
神様がこの村にやって来ました。
神様をもてなすのに村人は神様に失礼があってはいけないと、鮑の料理を振る舞いました。
神様は「うまい、うまい。これはうまい」と言って喜んで食べました。
これ以来「鮑は神様の好物だ」と、神様への供物にしました。
それから数年後、また神様が村にやって来ました。
ところがその年は鮑がまったくとれませんでした。
そこで村人は、鮑の腸をかたどった「鮑腸餅」でもてなしました。
この「鮑腸餅」も「うまい、うまい」と言って食べました。
それ以来、祭りや祝いに「ほうちょうもち」を作るようになりましとさ。
                        おしまい
 
蒸し暑かった陽気が、3時ころ急に涼しくなりました。
4時から畑の草取り40分間。
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秋刀魚で晩酌
9月27日(水)晴れ
今年は秋刀魚不漁、ニュースで流れていました。
でも、東京目黒の秋刀魚まつりでは例年通り無料でたくさん配られたようです。
スーパーにも並んでいましたが、結構、いい値段でした。
ここに来て、やっと年金暮らしの我が家の食卓にも並ぶようになってきました。

午後から畑。
草刈り機で草を刈り、畑を耕し、畝をつくってニンニクを植えました。
蚊が多く、防虫網をかぶっての作業です。
4時、珍しく一個所も刺されずに終了しました。
動いていると、腰痛も忘れてしまいます。
でも終わった瞬間、腰を伸ばすとイタタタ・・・タです。
シャワーを浴び、あんま機に。
眠ってしまいました。
今夜は秋刀魚。
晩酌の気分です。
冷やの日本酒で秋の味覚を味わいました。
絵には緑のカエデの葉が乗っていますが、実際はありません。
夕飯の後、ほろ酔い気分でテレビを見ながらごろ寝。
テレビは選挙と北朝鮮の話題でいっぱい。
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六十路の風景
9月26日(火)晴れ
還暦の人の「六十路の風景」が新聞に載っていました。
「60歳か、若いなあ」と60歳がまぶしく感じます。
ついこないだ還暦、退職、定年・・・と騒いでいたら、六十路も残り少なくなりました。
「オッサンの人生マラソン」も六十路のゴールテープが見えてきました。
そして「古希」の標識が近づいてきました。
小学生の前で「おじさんは・・・」と言っていたのが、最近は「おじいさんは・・・」と言うようになって来ました。
混雑した電車で席も譲ってもらいました。(1回だけですよ。1回だけ)
残り数年で「古稀」。
ブログのタイトル「定年おっさん・・・」も変えなくては?
自分では、定年間もないオッサンと思っていたけど、もうすぐ古稀のじいさんには「定年おっさん・・・」は相応しくありません。
ブログのタイトルをそろそろ変えなくては、と急に思いました。
でも一方、「まだ若い、生涯青春だ」なんて強がったりもします。

【青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う】サミュエル・ウルマン
  青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
  優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
  安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ
  年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
  歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
  苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
  精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
  年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か
  曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる
  事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く
  求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
     人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
     人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
     希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
「青春とは・・」読むと元気が出ると思ったけど、何だか反対に哀しくなってきました。

 
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