じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2022年06月

2日連続30度超え

6月29日(水)晴れ

「夏でも30度超える日は少ないですよ」

と自慢して来たのに、昨日・今日と今季2日連続の30度超えです。

車の外気温計によると、昨日31度、今日は33度を示していました。

それでも朝夕は海風が吹いて涼しさを通り越して半袖では寒いくらい。

朝夕の海岸は気持ちいいです。

おかげで散歩の距離も延びます。

今日の歩数計は10740歩(午後6時56分)。

6日連続、目標の8000本達成。

デジタル文字なのに「目標達成おめでとうございます」の文字が嬉しい。

夕方、日没寸前です(午後6時30分)。

日が延びてきました。

と、思っていたら「夏至」は当に過ぎていました。

昼の長さがこれから短くなっていくのか?

6月は明日で終わりか?

夕日を見ているとわびしくなってきます。


DSC_1200

梅雨明け?

6月27日(月)晴れ

関東地方、今日梅雨明け。

6月に梅雨明け?

梅雨の期間あったの?

「梅雨明け」、夏休みに入る寸前、プロ野球オールスター戦が始まる頃だったような気がするけど。

もう梅雨明け。

空は夏空。

日本各地で35度超えの真夏日気候がニュースで流れています。

6月の梅雨明けは1955年(6月25日)以来だそうです。

短い梅雨で困るのは、農家?

稲作や作物に影響が出てくるのでしょうか。

わが家の畑もトマトの葉が枯れて黒くなってきました。

水不足の影響でしょうか。

 

梅雨が明けて、嬉しいのは朝です。

午前5時には陽が出ています。

冷っとした朝の空気。(気温22度)

ラジオ体操に行くとさらに冷たい海風。

このところ、気持ちのいい朝が続いています。

ちなみに当地の今日の最高気温27度。

只今、午後7時30分気温22度。

大谷翔平またまた快挙

6月24日(金)曇り

大谷翔平がまたまた快挙。

「自己最多更新の13奪三振米最長の8回投げて2回以降無安打無失点」

前日は「3ラン2本を放ち4打数3安打、自己最多の8打点」。

「持続化給付金詐欺」「市民46万人の個人情報流出」「女性刺し男は拳銃自殺か」・・・暗いニュースが多い中で大谷選手の活躍は清涼剤です。

テレビのスポーツニュース、新聞のスポーツ欄を見るのが楽しみ。

大谷選手の進化はどこまで進むのだろうか、楽しみです。

日本人がメジャーリーグでこんなに活躍するなんて、誰が予想したでしょうか。

日本人メジャーリーガーというと、爺さんにとっては「村上正則投手」です。

爺さんが中学の野球少年だった頃、日本人投手がメジャーに初挑戦。

一勝を挙げた時の新聞、テレビ報道はすごかった。

先生も日本人の偉業を授業時間に話してくれたのを思い出します。

その後、野茂英雄、イチロー、松井秀喜、ダルビッシュ、田中将大、前田健太、菊池雄星と続いています。

梅雨の季節、スポーツニュースが楽しみです。

ミニトマトが少し赤くなりました

6月22日(水)曇り

今日も蒸し暑い。

朝から降っていた雨が9時30分頃止みました。

午後3時から畑をブラブラ。

雨上がりなので草むしり。

簡単に抜けますが、暑い、暑い、蒸し暑い。

おまけに蚊がまとわりついてきます。

1年ぶりにネット帽子をかぶっての草取りです。

衣類の上から刺されたようでかゆいカユイ。

ミニトマトがやっと色づき始めました。

実は先日赤くなったと思ったら、翌日消えていました。

犯人はおそらくキョンでしょう。

先日から夜になると鳴いていたので。

下から40センチほどの高さの実は無くなっています。

明日の朝、無くなっていたらガッカリですが。
無くなっていないことを願っています。

例年ミニトマトはアイコですが、今年は他の種類です。名前はわかりません。


IMG_2909 (2)

逆らえないような空気

6月9日(木)曇り

蒸し暑い、『夏』といった一日でした。

いつもは爽やかな海岸通りなのに、今朝はラジオ体操前の散歩だけで汗がジンワリ。

ラジオ体操終了後は背中に額に汗です。

 

沖縄復帰50周年が新聞・テレビで話題になっています。

ロシアのウクライナ侵攻のニュースを見るたびに先日の新聞記事が思い出されます。

 

 1945年6月22日。

 米軍に追われて沖縄本島南部を転々としたあげく、糸満市のマヤーアブ壕に身を潜めて4日目だった。

「手をあげて出てきてください」。壕の外から、投降を呼びかける米軍の拡声機の声が聞こえてきた。

 前日まで、外は砲弾が降り注いでいた。一歩も出られず、じっとしていた。(略)

 県立第一高等女学校に通う15歳だった。3月下旬の米軍上陸前に、家族は本島北部へ避難したのに「戦いから逃げていいのか」と従軍を志願した。(略)

最終的には招集された240人余りのうち約200人が死んだ。(略)

もう勝てないことは明らかなのに、なぜ戦い続けるのかわからなくなった。それでも隊の人たちは徹底抗戦を唱えて出撃し、帰ってこない。誰にも「早く降参して」と言えず、一人で泣いた。(略)

足の踏み場もないほど死体が重なる川。爆弾で吹き飛ばされた体の一部がぶら下がる木。死が当り前の世界で、「生きる」という言葉が残された。(略)

暗闇の向こうに光が見えた。そちらへ進む。見上げると、兵士が手を差し伸べている。不安はある。でも生きたい。その手をつかんだ。

あれから77年。

翁長さんの目には、ウクライナの戦争が、沖縄戦と重なって見える。住民を巻き込んでの戦闘。国を守るという大義。それに逆らえないような空気。

しかし自分がそうであったように、生きたいと願っている人は、兵士にも住民にも必ずいる、と思う。(略)

 

「戦いから逃げていいのか」「国を守るという大義に逆らえないような空気」がロシアにもウクライナにも漂っているような感じがします。

「地球よりも重い命」のはずなのに「国よりも個人が優先される」はずなのに、戦争になってしまうと何もかも絵に描いた餅のようです。

悲しいです。

↑このページのトップヘ