じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2022年12月

良い一年でした

12月31日(金)晴れ

令和4年(2022)、最後の1日となってしまいました。

「ホント早や」、いつものように嘆いています。

コロナが収束し始めたかな、と思っていたら再び感染拡大路線を突っ走っています。

知人たちも感染し、身近に感じるようになってきました。

幸い、1週間程度で皆回復。

これならインフルエンザと同じかな?

ウイズコロナってこれかな?

ウクライナ戦争は終わりが見えず悲しい。

解決策はあるんでしょうか?

ノーベル平和賞を受けたロシアの人権団体「メモリアル」の創設者の一人ガヌシュキナさんが「侵略者は負ける。ロシアを変えることのできるのはロシアの人々だけだ。勇気ある彼らと連帯したい」と言っています。

 

爺さんの1年を振り返ってみます。

真っ先に浮かぶのは4月10日から6月9日までの「夷隅民話の会展」。

これまでの活動を振り返るのに良い機会となりました。

冊子『民話の会展記念誌~二百人の盗賊~』も作って形に残すことができました。

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放映もあり、冊子『伝説 上総介広常と源頼朝~房総頼朝伝説~』を再発刊。

K市の図書館から話の依頼もあって、思いがけず発表するチャンスもいただきました。(11月12日)

『サンフランシスコ号漂着物語』も再発刊。

民話の会の活動も「民話発表会(10月22日)」「民話さんぽ(11月19日)」と活動開始。

資料作りや段取りで多くの時間を費やしましたが、楽しかった。

 

T新聞「読者文芸」への俳句・短歌・川柳・詩の投稿2年目。

新聞に掲載された作品は21作品。

1年目より2年目の方が上達し、掲載作品も増えるかと期待していたら、そんなことはありません。

不思議です、1年目の方が掲載作品は多かった。

時間が経てば上手くなる、それはないようです。

いい作品を楽しみながら読む(インプット)をしなければいけないようです。

「楽しみながら」です。

 

朝のラジオ体操、前半(1月から3月)は「寒い中急に動いてはいけない」と言い訳をつくってサボったけど、他の月はマア―、マア―がんばりました。

昼間の海岸も美しいけど、早朝、日の出の瞬間がこんなに美しいとはラジオ体操に感謝。

 

4月「平家物語を読む会」に入会したのも今年の大ニュースです。

高校の時の古典の授業みたいに指名されて音読するのです。

いつ指名されるかと、72歳になっても緊張します。

そのため予習もします。

 

健康で過ごせたことに感謝です。

良い一年でした。

大原公園の「平和の鐘」撮影に行ってきました。

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「爺さんは毎日が休日だよ・・・」

12月28日(水)晴れ

このところ毎日、朝の日の出の話題ばかりで恐縮。

今朝は水平線のはるか高い所まで雲がなびいています。

今日も写真は朝焼けとラクダ像。

またか?毎日同じ話題で飽きたよ、と思われるでしょう。

でも、あまりの美しさにまたまたパシャリ。

今朝は朝焼けの紅が一段と濃い。

不気味なほどの紅です。

(海の向こうに巨人の国がありました。巨人たちが朝のご飯を炊くためにカマドで火を焚いているのです。空一面、火の色に染まるのです・・・)、などと幼空想してしまいます。

日中の海岸も川面に光が反射し幻想的な世界です。

「光の玉を撒く」という表現がピッタリの清水川です。

 

合宿の高校生も今日が最後とか。

明日から年末年始の休みになり、やっと冬休み到来だそうです。

せっかくの冬休みなのに、部活動があって、なかなか休めないとか。

「爺さんは毎日が休日だよ・・・」と言ったら、

「羨ましい。早く年取りたいなー」だって。

年老いた爺さんを哀れに思ったのでしょう、「羨ましい」なんて同情してくれました。

思い返すと・・・勉強・塾・部活・時には遊びたい・テスト・受験・就職・・・先の見えない不安定な青春時代です。

案外、本気で早く爺さんになって毎日が休日のノンビリした時間を欲しているのかも?

「爺さんはもう一度高校生に戻りたいよ・・・。夢や目標があったあの日に戻りたいよ・・・」

「そうですか?」

ウソでしょう、休みの方が良いでしょう、と疑いの表情。

「そうだよ、高校時代は最高だ。・・・部活も勉強も頑張ってくださいよ。そして、またO町に来てくださいよ」

「はい、頑張ります」

なんともマブシイ高校生でした。

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気温5度、寒くない!

12月26日(月)晴れ

「アレクサ、今日の天気?」

と、問いかけると

「O町の只今の天気は晴れ気温5度。今日の最低気温4度最高気温12度・・・」

気温5度か?寒いはずだ。

布団から出るのがつらい。

でも、今朝も日の出が美しいだろうなー、と思うと布団から出る勇気が出てくる。

冬の三点セット(暖パン・フリース・ダウンジャケット)に着替えると、さほど寒さを感じない。

手袋・毛糸の帽子・マスクをしてカメラを持って外に。

朝の6時は、東の空がかすかに明るいが、周りはまだ薄暗い。

(頭上の空は雲一つなく晴れているが、水平線はどうだろう。・・・今朝の日の出は・・・)

歩みも速くなる。

東の空は水平線に沿って雲がたなびいている。

昨日の朝の天気が特別だったんだ。

でも今朝の海岸も十分美しい。

6時20分、ラジオ体操開始の時間。

急いで会場へ。

6時40分ラジオ体操終了。

まだ陽が昇ってきません。

急いで海岸へ。

陽が昇ってきます、パシャリ、パシャリ。

海岸も高校生の合宿で賑やか。

寒さも感じません。

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日の出をパシャリ・パシャリ

12月25日(日)晴れ

朝の6時、まだ真っ暗。

カメラを持って海岸へ。

ラクダ像の近くに三脚を立てたカメラマン。

「日の出を待っていらっしゃるんですか」

「そう、日の出を。今日は6時46分が日の出なんだ。今日は良いよ、最高だ。今まで何回か来ているけど、いつも雲に覆われて・・・。こんなに晴れているのは珍しい・・・」

確かに、毎朝見ている住民でさえ、こんなに雲が少ない日は珍しいと思う。

いつもは水平線に雲がたなびいているのに、今朝はない。

水平線に雲がないのを見るのは自分史上はじめてかもしれません。

M市から来たというカメラマン。

「これはいすみ市太東岬の日の出だ。これは内房から見た富士山だ・・・」

と次から次に写真を見せてくださる。

「へーすごくきれい。コンクールなんかに出されるんですか?」

「ああ、時々ね」

「プロですか?・・・失礼な質問ですが、このカメラいくらくらいするんですか」

「これか、これくらいだよ」

と、指3本を立ててニコリ。

「ええ、30万ですか」

「そう、唯一の趣味だからねー」

と、嬉しそうに笑みをうかべながら答えてくださった。

その後も、カメラに保存された作品を見せてくださる。

高校生の一団が。

松戸の高等学校サッカー部の合宿だという。

地元の人にとっても今朝の日のでは格別です。

ラジオ体操へ行くのも忘れて日の出をパシャリ・パシャリ。

いつものように遊月橋もパシャリ。

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絶対に・・・
12月24日(土)晴れ

戦争が始まると、世の中はどうなってしまうでしょうか。

家族は、学校は、生活は、そして人の心は、

どのようにかわってしまうのでしょうか・・・。

作家・半藤一利さんが自分の目と耳と心で体験した真実の話。

こんな言葉に惹かれて『焼けあとのちかい』(文・半藤利一、絵・塚本やすし)という絵本を借りてきました。

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍、午前6時発表・・・帝国陸軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり・・・」
テレビのドラマや第二次大戦ノンフィクション番組で何度も耳にした言葉。

テレビでなく、ラジオで実際に聞いた半藤さん、小学5年12月8時午前7時。

戦争がはじまると、いろんなものがなくなっていきました。

商店から売りものがなくなりました。
そのため新しい服が買えず、わたくしも友だちも、つぎはぎだらけの服になりました。

大好きなべエゴマは生産中止になりました。

白いごはんが食べられなくなり、まずい玄米にかわりました。

そのうち朝ご飯がぬきになり、

毎朝おなかペコペコのまま登校するようになりました。

 

敵の言葉である英語の使用が禁止され

野球の「ストライク」は「本球(ほんきゅう)」に、

「ボール」は「外球(がいきゅう)」にいいかえられました。

飼い犬や猫は強制的にどこかにつれていかれ、

動物園のライオンやゾウ、クマやトラなどは殺されました。

けいじ板や電柱など町のいたるところに、

「ほしがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ!」といった
戦意高揚のスローガンがかかれたポスターがはられるようになりました。

そして、いつのまにか町から若い男の人がいなくなり、

通りを行きかう人たちから笑顔や笑い声が消えていきました。

・・・・(略)・・・

この世に「絶対」はない、ということを思い知らされました。

絶対に正義は勝つ、絶対に神風がふく、絶対に日本は負けない。

絶対にわが家は焼けない。絶対に焼い弾は消せる。

絶対に自分は人を殺さない。絶対に・・・絶対に

・・・・(略)・・・・

そのとき以来、わたくしは二度と「絶対」という言葉はつかわない。

そう心にちかって今日まで生きてきました。

しかしいま、あえて「絶対」という言葉をつかって

どうしても伝えたいたったひとつの思いがあります。

『戦争だけは絶対にはじめてはいけない』

 

連日ウクライナの様子がニュースで流れます。

爆撃され住宅、厳寒、停電・・・笑顔や笑い声のない街が放映されています。

テレビから流れるウクライナの人たちとダブらせながら絵本を読みました。

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