6月16日(土)雨
      第二の福島が起きてから「一億総ざんげ」をする?それでは遅いのです
6月13日、野田首相は「国論が二分する中で、責任を持って判断した」と言った。
この夏、電力が不足するので原発を再稼働するという。
福井県知事も再稼働に同意した。
強く反対していた橋下徹、大阪市長ら関西の広域自治体連合も「再稼働容認」に変わった。
今日(16日)の夕刊には「大飯原発再稼働を決定」の記事が載った。
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何だか怖い動きだ。
戦後生まれなので書物や映像から受けた感覚だが、「戦争」へ進んだ時の臭いがしてならない。
この臭いを代弁してくれた記事があった。
 ・・・(略)・・・国策として進められた戦争の果てに、広島・長崎への原爆投下がありました。そして昨年、国策とされた原発推進の果てに、福島の原発事故が起きました。私にはこの二つが重なって見えます。どちらも一朝一夕に起きたわけではありません。なぜそうなったかを振り返る歴史認識が必要です。(略)・・・国民の多くもまた、脱原発へのはっきりとした決意を持てずにいます。第二の福島が起きてから「一億総ざんげ」をする?それでは遅いのです。(略)・・・原発を受け入れた自治体は麻薬のようなお金で、子孫に対する倫理観までマヒさせられた。その意味で、巨大な原発推進システムに土足で踏み込まれた被害者なんですよ。
 かたや、関西広域連合の知事たちは一度、大飯原発で万一のことがあればそれぞれの府県にも被害が及ぶと、再稼働に反対しました。それなのに軽々しく「事実上の容認」と態度を変えてしまう。半世紀にわたる原発の歴史の総括を欠いているから主張が薄っぺらなのです。(略)
 大量の電力を消費している都市部には、原発が立つ地元の足を踏んづけている意識が欠落しています。自のことのように引きよせて、他社の痛みを知る。仏教が説くのはそのような倫理です。他者を犠牲にしながら自分たちの幸せだけを追求してはいけないのです。(略)
                                    中嶌哲演(なかじまてつえん)  42年生まれ 僧侶 
                    『再稼働、それでも』朝日新聞6月15日朝刊より
 
勇気ある嘉田由紀子滋賀県知事の発言
国民の多くが、国民の知らない所でこのようなことが行われているんだ。
「長いものには巻かれろ」論があることは、うすうす感じていた。
それは国民の耳には届かぬもの、これが現実なんだ、これが大人の社会なのだ、と半ばあきらめていた。
ところが嘉田由紀子滋賀県知事が内幕を明かしてくれた。
やっぱりと思った。
「関西電力さんからも、また国からも、あるいは企業からもずいぶんと警告され、そしてある意味で『本当に停電になったらどうするんだ』ということを、きつい言葉ですが、かなり脅されました。『お前は責任がとれるのか』 と」。
勇気ある行動だと思う。
嘉田由紀子こそ、真の政治家だと思う。
中嶌哲演(なかじまてつえん)さんのいう「第二の福島が起きてから『一億総ざんげ』をする?それでは遅いのです」がビンビン響いてくる。
 
停電で死人が出たという話はきかないイメージ 2
テレビを見ていた。
再稼働賛成者が言っていた。
「計画停電になるとモノ作りがまったくできなくなる」
「夏場に機械が止まると生活にも影響が出る。給料も減る」
「老人ホームはすべて電力なので止まったら患者が危ない」
それを聞いた司会者が言った。
「停電になったら生活に困る。その通りでしょう。しかし15%節電もできる。どっちをとるかといったら、私は節電をとる。・・・停電で死人が出たという話はきかない」
相変わらず難しいことはわからない。
でも、「1%でも第二の福島事故が起きる可能性があるのならみんなで節電しましょう」と言っているように思えた。
私も司会者に賛成だ。
人の命あっての社会、これが「絆」でしょう?
 
                                 *新聞「朝日新聞」6月16日夕刊から