12月27日(木)晴れ
     源頼朝と上総介広常(かずさのすけひろつね):瀧泉寺の銀杏樹
国道128号線、いすみ市大原貝須賀に「瀧泉寺」という天台宗の寺があります。イメージ 1
ここに上総介広常が植えたという銀杏の大木が聳えています。
銀杏の下には「銀杏樹由来」という碑が建ち、次のように記されています。
     銀杏樹由来
當寺ハ嘉祥年間布施名熊ニ開基
天台宗ニ属ス
平広常子其地ニ築城ノミギリ
鬼門除トシテ当地ニ移シ建立
貝須賀山普門院瀧泉寺ト命名シ
広常自カラ門前ニ銀杏樹ヲ
植樹シタト傳エラル
現今亭々トシテ天ニ聳エル
老木即チ是ナリ
 
瀧泉寺は嘉祥年間(848~851年)に、名熊地区に建立。広常が名熊の殿台に城を築城した際に、鬼門除けとして現在地に移しました。その際、広常自身が植えた銀杏の木といわれています。
広常は頼朝の平家打倒に貢献しています。
しかし、広常の横柄な態度が頼朝の信頼を損ね、後に暗殺されます。
NHK大河ドラマ「平清盛」にも登場しました。
その横柄ぶりを「平清盛4 219ページ」(藤本有紀:作 NHK出版)に表現されています。イメージ 2
 
・・馬に乗った武士が家人を従えて来る。
「われこそは上総介広常。わが兵二千騎を率いて参上つかまつった。はよう顔を見せよと王に言うて参れ」
広常は高飛車な態度で、下馬しようともしない。
定綱と経高は腹を立てたが、二千騎の味方を得られるとは願ってもない話だ。ふたりが取り次ぎに走り去ると、広常の家人が心配そうに尋ねた。
「だ、大事ないのでござりますか・・・・さような・・・」
「かまわぬ、かまわぬ。源氏の御曹司というだけで、所詮は都育ちの生白いお方であろう。場合によってはその首とって、一族郎党みなこの広常の家来にしてやろうぞ」
広常が大口を叩いた。
ちょうどそのこと、頼朝が藤九郎と定綱・経高を従えて現れた。
「・・・そなたが上総広常か」
「いかにも」
「去(い)ね。遅参したうえに下馬もせぬような者は信じるに値せぬ。もののふの道をわきまえぬ愚か者の二千騎などなんの役に立つ。はよう去ね!」
さっと背を向けた頼朝に、広常は慌てて馬から下りると地面に手をつき、頭を下げた。
「おみそれいたしました。あなた様こそ御大将の器。この広常、平家を討ち滅ぼすお手伝いをいたしとうござりまする」
 
広常の兵二千騎は頼朝の平家打倒にたいへん貢献します。
しかし、広常の横柄な態度はなおらず、頼朝の信頼を損ね、後に暗殺されます。
悲運な武将です。
いすみ市大原布施に城を構えていた広常が暗殺されなかったならば、ここ夷隅地方はどんなにか発展しただろうか?なんて、考えてしまいます。
人間横柄な態度はいけませんね。