10月20日(日)雨
     学力テストの公表は?
朝から一日中雨でした。
低気圧通過で、昼頃は横なぐりの一段と強い雨になりました。
長時間の屋内生活は身体がシャキッとしません。
夕方4時、小雨の中を傘をさして海岸に散歩に行ってきました。
茶色に濁った高波の中、サーファーの姿です。
イメージ 1
先日、こんな教育談義、テスト談義をしました。
「わが町の学校は学力テストをなぜ公表しないのですか。大阪市では公表すると言うのではないですか?実施したんだから公表するのがあたりまえでしょう」
「公表すると学校間の競争になって・・・」
「だって、野球とかテニスとか部活動の大会だって、優勝とか一回戦負けとか公表しているんじゃないですか。これって学校間の競争でしょう。学力テストだって同じでしょう」
スポーツの試合と学力テスト、似ているようにも思いますが違います。
どこがどう違うのか?と、問われれば説明に窮します。
「過去にテスト結果を公表し、不当な競争の歴史もあるんだよ。・・・テスト中に生徒が間違った個所を指さして指摘するとか、問題を事前に知らせるとか・・・教育が点数至上主義になったことがあるんだ・・・」
「ふーん。でも、そんな不当なことをする教師は辞めさせるのが筋だろう」
「そりゃ、教師として間違った行いだけれども・・・」
「今の教育は過保護なんだよな。結果発表しないのは運動会の徒競走で順位をつけないと同じだろう」
「・・・ううん。一見、似てるけど、違うな・・・」
うまく説明できません。
「・・・教育はいいよなー。結果が問われないから・・・。サラリーマンは結果だぜ。利益を産まなければ首だぞ・・・」
この結論に来てしまいます。
今朝の社説、じっくり読みました。
イメージ 2
○開かれた学校づくり
・テスト結果を公表(税金を使っている以上、国民は知る権利がある)
・地域に学校の課題が伝わり、保護者の協力が得られやすくなる。
・先生に良い意味での緊張感が生まれる。
・テスト結果の原因と課題をさがす工夫ができる。
・学校をよくするための地域との対話の出発点となる。
○でも、この行為は「学校や先生をさらしものにするパフォーマンスになる可能性を含んでいる」
・子どもや先生を傷つけるだけ。
○安易な公表は現場を荒廃させ、問題解決を遅らせる。その自覚がなければ、公表する資格ははない。