1月10日(金)曇り
         御宿町に松尾芭蕉の句碑がありました
寒い寒い。
日本中が寒気に覆われているという。
御宿の今朝の最低気温は午前3時、1度。
最高気温は午後3時、6度。
北海道網走は最低気温氷点下11度、最高気温氷点下5度だそうです。
北海道を思えば寒いなんて言っていられません。
寒い寒いと家の中に閉じこもっているのと、ますます寒く感じます。
思い切って外へ。
冷たい風が顔に吹きつけます。
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海岸は風が強そうなので浅間山へ行きました。
浅間山に登ってみました。
途中に碑が建っています。
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達筆です。
流れるような美しい文字ですが、まったく読めません。
町史を読んでいたので松尾芭蕉の句碑であることはしっていました。
帰って「房総の芭蕉句碑~上総・安房編~井上脩之介著」を広げてみました。
香楠居三木雄敬書
眼にかかる時やことさら五月不尽
            翁
写真の碑と本を見比べながら読もうとししましたが、眼と五が読めるくらいで、他の文字はまるで読めません。
句碑について次のような説明がされていました。
元禄7年5月11日に江戸を立って故郷への最後の旅に向かった芭蕉が、箱根を越える際、雨の晴れ間に姿を現した富士山の偉容詠んだ句で「箱根の関越て」の前書きが付いている。
建立者の「本吉蓮蕊(れんずい)」は地元御宿の人で本名本吉保次郎。寺子屋を開いて子女の教育にあたる傍ら、春秋庵幹雄に師事して俳諧を学び、清々舎蓮蕊と号した。明治33年(1900)、73歳で没。同町妙昌寺に門人たちが建てた墓碑には
道立てし身には涼しき旅路かな 蓮蕊
という辞世の句が刻まれている。
補助にあたった「幸保長兵衛は、同町で呉服商を営む商家の主人で、御宿屈指の素封家あった。この人が建碑の資を援けたのである。
「香楠居」は春秋庵幹雄の別名で、彼は「幹雄」を、碑面に見られるように「三木雄」と署名することが多かった。
「甲申(きのえさる)」は明治17年(1884)、「仲夏」は5月。
 
本吉さんってひょっとすると毎朝ラジオ体操で一緒になる本吉さんの祖先の方のようです。
「幸保」っていう姓もあります。
幸保で呉服商で素封家、これもわかりそうです。
素封家とはいえ庶民が芭蕉の句碑を建てるとは、なんと文化が高ったことでしょう。
驚異です。
 
今日は新年会(飲み会)で今、帰宅したところです。
胃が悲鳴をあげています。