1月22日(水)晴れ
頼朝伝説に思いを馳せながら散歩しました
頼朝伝説に思いを馳せながら散歩しました
ぬけるような晴天です。
当地よりさらに南の鴨川に行ってきました。
用をすませ時間つぶしに海岸へ。
市営の駐車場でしょうか、広い駐車場に車を止めしばらく海を眺めます。
太陽が照りつけて車内は暑い暑い。
当地よりさらに南の鴨川に行ってきました。
用をすませ時間つぶしに海岸へ。

太陽が照りつけて車内は暑い暑い。
そこで海に沿って延びる散歩コースを30分ほど歩きました。
ここの地名は「待崎(まつざき)」です。
「崎(みさき)で待つ」という意味があるそうです。
ここの地名は「待崎(まつざき)」です。
「崎(みさき)で待つ」という意味があるそうです。

だれが誰を待ったか?
源頼朝伝説に由来しているそうです。
「石橋山(三浦半島)の戦い」に敗れた頼朝が小舟で房総に逃げてきます。
ここ鴨川で房総の有力な豪族、上総の上総介広常(かずさのすけひろつね)と下総の千葉常胤(ちばつねたね)に援軍依頼の書状を書きます。
重臣に書状を託し、上総介広常と千葉常胤からの返事を今か今かとこの海岸で待ちました。
そこで、ここは「崎で待つ」、「待﨑」なんだそうです。
依頼の結果は、千葉常胤はこころよく援軍を出しました。
しかし、上総介広常はすぐに援軍を出さず、遅れて2万の援軍を出しました。
頼朝軍は3千でした。
広常はわが大軍で頼朝に代わって天下を取ろうというふたごころをいだいていたのです。
ところが頼朝は遅参した広常を「バカ者、遅参とは何事だ。兵を連れて上総に帰れ」と激怒します。
この頼朝の態度に感銘し「頼朝様こそわが主君」と、広常は頼朝に忠誠をを誓います。
2万の兵を持つ広常の援軍のおかげで、頼朝は鎌倉に幕府を開き天下人になります。
しかし、猜疑心の強い頼朝は「広常はいつか必ず反逆してくると」、家臣の梶原景時に命じて暗殺してしまいます。
源頼朝伝説に由来しているそうです。
「石橋山(三浦半島)の戦い」に敗れた頼朝が小舟で房総に逃げてきます。
ここ鴨川で房総の有力な豪族、上総の上総介広常(かずさのすけひろつね)と下総の千葉常胤(ちばつねたね)に援軍依頼の書状を書きます。
重臣に書状を託し、上総介広常と千葉常胤からの返事を今か今かとこの海岸で待ちました。
そこで、ここは「崎で待つ」、「待﨑」なんだそうです。
依頼の結果は、千葉常胤はこころよく援軍を出しました。
しかし、上総介広常はすぐに援軍を出さず、遅れて2万の援軍を出しました。
頼朝軍は3千でした。
広常はわが大軍で頼朝に代わって天下を取ろうというふたごころをいだいていたのです。
ところが頼朝は遅参した広常を「バカ者、遅参とは何事だ。兵を連れて上総に帰れ」と激怒します。
この頼朝の態度に感銘し「頼朝様こそわが主君」と、広常は頼朝に忠誠をを誓います。
2万の兵を持つ広常の援軍のおかげで、頼朝は鎌倉に幕府を開き天下人になります。
しかし、猜疑心の強い頼朝は「広常はいつか必ず反逆してくると」、家臣の梶原景時に命じて暗殺してしまいます。

ここ鴨川「待崎」は源頼朝が援軍の返事を今か今かと待った所です。
そんな頼朝伝説に思いを馳せながら散歩するのは本当に楽しいことです。
他にも鴨川には頼朝伝説がたくさんあります。
そんな頼朝伝説に思いを馳せながら散歩するのは本当に楽しいことです。
他にも鴨川には頼朝伝説がたくさんあります。