5月22日(木)晴れのち雨
      優先すべきは「生存にかかわる人格権」,原発はそれより低く置かれるべきだ
今朝の朝日新聞、朝刊一面に「大飯再稼働認めず」の文字が踊っていました。
「生存の権利と電気代『同列にできず』」の言葉に心引かれ,大興奮しました。
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むかしむかしのおばさんの言葉を思い出していました。
「バナナとおばさん、どちらが好き?」
返答に困って、しばらく沈黙。
いつも心温かく親切なおばさんも好き。
めったに口にすることができない高価なバナナも好き。
考えれば考えるほど、応えが出せませんでした。
困っていると、母が「両方とも好きだね」と助け船を出してくれました。
それ以来、「両方とも好き」という答えがあることを知りました。              
「どちらが?」と問われているので、正確には白黒つけなければいけないと、心の片隅では思っていました。
そして、自分が父親になると、この手の質問を子どもにも投げかけたものです。
「このオモチャとお父さんどちらが好き?」
私が子どもの頃悩んだように、わが子も悩んでいるようで、沈黙が続きました。
この手の質問を重ねるとやがてわが子は「お父さんよりオモチャが好き」とオウム返しに言うようになりました。
この手の問いに答えにくかった理由が今朝、(ああ、そうなんだ。これなんだ)と納得しました。
そう、「人間の生存権と電気代はどっちが大事?」は「お父さんとオモチャはどっちが好き?」に何だか似ているような気がしてなりません。
なぜなら「同列」に考えることではないんですね。
「生存の権利と電気代『同列にできず』」という言葉に半世紀前の宿題の答えが出ました。
 
・関電は、原発の稼働が電力供給の安全性につながるというが、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題と並べた議論の当否を判断すること自体、法的には許されない
優先すべきは「生存にかかわる人格権」で、発電の一手段でしかない原発はそれより低く置かれるべきだとしている。「稼働コストの低減につながる」といった、電気代と住民の安全を同列に考えるべきではない指摘。
明快な答えです。
すごい、すごい、さすが裁判長。
・「生存を基礎とする人格権は法分野において再興の価値をもつ」と述べ差し止めの判断基準として「新規制基準への適否ではなく、福島事故のような事態を招く具体的な危険性があるか」を挙げた。
大興奮した朝でした。