5月1日(金)晴れ
5月1日(金)晴れ
サクランボをネットで囲みました

5月に入りました。
早いですねえー。
転がるように月日が経つってこのことでしょう。

サクランボの木を防鳥ネットで囲みました。
不思議な現象が起こりました。
囲っている最中に、近くの木に止まっていた鳥たちがピーピー鳴き出しました。
10羽以上います。
高い声で鳴いています。
「その木を何するんだ。それはおれ達の木だぞ。何をするんだ?」
と言わんばかりです。
何だか悪いことしているような、鳥にすまないような気分になりました。
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遠い昔に学習した吉田兼好の「徒然草」を思い出しました。
「・・・大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、周りをきびしく囲ひたりしこそ、少しこと冷めて、この木なからましかばとおぼえしか」
少し覚えていました。
ネットで調べました。
こんな文章でした。
徒然草第十一段、「神無月のころ」
<原文>
神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ることはべりしに、はるかなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋(うづ)もるるかけひのしづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。
かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、周りをきびしく囲ひたりしこそ、少しこと冷めて、この木なからましかばとおぼえしか。

<現代語訳>
10月ごろに、栗栖野という所を過ぎて、とある山里を訪ねて行ったことがあったのですが、遠くまで続いている苔の細道を踏み分けて、もの寂しい様子で人が住んでいる家があります。木の葉で埋もれた、かけいの音(かけいから水が漏れる音)以外には、音を立てるものがありません。閼伽棚に菊の花や紅葉が折って供えられているのは、人がやはり住んでいるからなのでしょう。
このように住むことができるのだなぁとしみじみと見ていると、むこうの庭に、大きな柑子(みかん)の木があって、(果実の重みで)枝がしなっていたのですが、木の周りを頑丈に囲っていたので、そのことで気持ちがさめてしまって、この木がなければよかったのにと思いました。

何だか自分が強欲な、悪人のように感じました。
でもさあー、この木の所有者は私。
囲わなければこちらの事も気にせず、遠慮無く全部食べてしまうでしょう。
半分くらい残してくれれば、こちらだって囲わないのに・・・。
心の中で、言い訳しながらネットで囲みました。
こんな光景見たら、吉田兼好さん何とおっしゃるだろう。
やはり、風流のない強欲な人間と思われるだろうか。
「・・・少しこと冷めて、この木なからましかばとおぼえしか」
ですかねえ。