「雨降りお月さん」を口ずさむ
6月9日(木)雨
朝から雨です。
シトシト雨です。
車で隣街K市に行きました。
雨の日は「雨降りお月さん」のメロデーが浮かんできます。
そしていつものように口ずさんでいました。


♪ 雨降りお月さん 雲の蔭
   お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
   ひとりで傘 さしてゆく
   傘ないときゃ 誰とゆく
   シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた

   お馬にゆられて 濡れてゆく


「さびしい曲だねえー、お嫁さんに行くのに一人で・・・からかさもないの・・・。昔は馬
でお嫁入りしたんかねえー・・・」
助手席の人が不思議そうに言いました。
そこで、いつものように定年おっさんはウンチクをたれます。
「この歌はねえー、野口雨情が作詞してねえー・・・。昔、奉公に行った貧しい村娘が
ねえー・・・」と話しだすと。
「いいよ、いいよ・・・その後は」と拒否されてしまいました。
そうです、定年おっさんはいつも、適当に想像で話を作ってしまうのです。
また、定年おっさんの創作したウソ話と察したのです。

♪雨降りお月さん 雲の蔭
 
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
 ひとりで傘 さしてゆく
 傘ないときゃ 誰とゆく
 シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた

 お馬にゆられて 濡れてゆく


雨降ってりゃー、お月さん雲の蔭に隠れて当たり前でしょう。
お嫁に行くというのに、誰も付いていかずに、一人で傘さして行くの。
傘がないときは、馬に乗って濡れて行くの?
口ずさみながら自問していました。
ホント不思議な歌?
いつも、何とも思わないのに。
帰って、ネットで調べました。
野口雨情(本名:英吉)は、明治15年(1882年)529日茨城県多賀郡磯原村(現在の北茨城市磯原町)に長男として生まれました。家は代々水戸藩の薪炭奉行を勤め、廻船問屋を営める、世にいう名門でした。写真は雨情の生家で、茨城県文化財に指定されています。

磯原尋常高等小学校を卒業すると、15歳で上京し、東京教学院中学、順天中学、東京専門学校高等科文学科(早稲田大学文学部)に通学しますが、明治35517日の20歳のときに東京専門学校を中退し、詩を雑誌に投稿し始めました。しかし父の死去により、磯原に呼び戻され、明治37129日野口家の戸主となりました。22歳の時でした。
磯原に帰り家督を継承すると、父が生きている頃から話題に上がっていた花嫁の候補者高塩ヒロと22歳の秋に式を挙げました。その時に出来た歌が、「雨降りお月さん」です。

雨情夫人ヒロの興入れの日は朝から雨が降っていました。当時この地方のしきたりでは、花嫁は馬に乗って婚家に嫁ぎ、花婿や村人たちは家の前で行列を迎えました。ヒロもしきたりに従って、馬に乗って野口家に嫁ぎました。ヒロは栃木県塩谷郡喜連川から雨の中を、馬で2日もかかって来たということです
迎えた雨情は、白無垢姿の花嫁の濡れた綿帽子を心優しくはずしました。これが2人の初めての対面でした。新しい生活への希望に満ちて、凛として馬に乗って嫁いできたお嫁さんに対し、雨のなか遠い道のりを濡れながらやってきたことをねぎらって歌っています。


うーん、まだ良くわからない。