じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

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汗の結晶が完成~『上総出雲大社物語』~
8月11日(木)曇り
猛暑も一休み。
30度を割って27度でした。
過ごしやすい一日でした。
「出雲大社」と言ったら出雲の国(島根県)と思っていました。
ところが、「上総出雲大社」が隣にいすみ市にあるというではありませんか。
「この上総出雲大社があまり知られていないので、子どもにも理解できるように話を書いてくれ」と依頼をいただいていました。
話を伺うと、上総(千葉県)出雲大社の起源がおもしろい。
へえー、それでここに出雲大社が?納得、納得。
そこで、書かせてもらいました。
郷土史や歴史書を引っ張り出して読んだり、信徒の話を聞いたり、大社に写真撮りに行ったりと、楽しい時間を過ごしました。
7月からパソコンとにらめっこの日々が続きました。
4回ほど原稿をやり取りし、今日、冊子ができあがりました。
結果を「汗の結晶」と形容するが、夏、真ただ中での冊子作りでした。
正真正銘「汗の結晶」。
「上総出雲大社」いすみ鉄道国吉駅下車徒歩13分くらいです。
近くにお出かけの際、立ち寄ってみてください。

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「おせんころがし」碑を見てきました
6月22日(水)曇り
房総の代表的な民話「おせんころがし」を聞かせてくれという依頼を受けていたので、3時からIさんと会う。
民話はおもしろい。
同じ「おせんころがし」の話でも7通りもあるのです。
話が文字化されていなかった時代、語り手によって、少しずつ変化していったのでしょう。
また、語り手も、聴き手によって話を変えていったのでしょう。
子ども、若者、男、女・・・農民、漁民、役人・・・と年代や職業によって変えたのでしょう。
語り手、聴き手によって話が変わる・・・創作のおもしろさです。
歴史ドラマが脚本家によって異なるのに似ているように思います。
その後、碑の建つ上総と安房の堺へ。
この断崖絶壁を見ていると、この話が創作された理由がわかるような気がしてきます。
房総を代表する民話なのに、この碑を訪れる人は少ないのでしょう。
道はススキに覆われていました。
「良い観光資源なのに・・・」
「昔は国道からの入口に案内板があったのに、これじゃあ、訪れる人はいないよねえ」
「行政もここまで手が回らないのでしょうねえ・・・」
「どの町も文化行政は危機ですねえー」
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「民話さんぽ」体力の衰えを痛感
5月28日(土)曇り
今日は夷隅民話の会の「民話さんぽ」でした。
雨が止んでホッとしました。
民話の舞台となった場所を歩いて巡るのです。
約2時間の散歩コース。
民話は10話予定。
戸外で、肉声での読み聞かせです。
8年前にも同じコースで実施したので、下見しないで実施しました。
ポスターも募集もかけずに知人友人を誘って21名の参加をいただきました。
人数20人前後が理想的です。
新緑の緑が濃くなってきました。
新緑を愛でながらの散歩です。
薫風の中、爽やかな散歩日和でした。
植物に詳しい人がいて、
道端の草花や山に咲く花をを説明してくれました。
印象に残ったのが「テイカカズラ」。
今、山一面に白い蔓の花が咲いています。
「テイカカズラは藤原定家に由来する花なんです」
「へえ、あの歌人の藤原定家ですか・・・」
おもしろい。
帰ってからネットで検索しました。
次のように出ていました。

テイカカズラという名は、謡曲の「定家」に由来すると言われています。
平安時代の終わり頃、後白河法皇の第三皇女式子内親王は、幼くして賀茂斎院となり、十年にわたって神社に奉仕していたが、病のために退いた。この頃、歌人として有名な藤原定家が皇女を慕っていたが、皇女は独身を守って49歳で病気のため亡くなった。それでもなお、皇女を慕った定家は蔦葛(つたかずら)となって、皇女の墓石にまつわりついた。皇女の霊が、自分の墓に蔦葛がまつわりつく苦しみを、旅の僧に訴えるというものだそうです。そこから「つた」のことを定家葛と言うようになったというものです。(参考:万葉植物事典 北隆館)

8年前は予定時間で巡れましたが、今回は時間がかかりました。
8年の歳月は各人の体力に響いています。
前回60代だった人も70代になりました。
辛そうでしたので、途中から車を出しました。
「70になると体力がこうなるのですよ。よく覚えていて・・・ラジオ体操、散歩つづけてくださいよ」
年とともに体力が落ちることを痛感した民話さんぽでした。
一番元気だったのは、絶えず先頭を歩いて(走って)くれた4歳の子どもでした。
参加くださったみなさんありがとうございました。
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美術館と温泉と宿を堪能してきました
2月23日(火)曇り時々晴れ

「Hリゾート、行ったことある」
「いや、行ったことないよ。全国展開しているあの宿?」
「数年前から盛んにテレビで報道されているHリゾート。ぜひ行った方がいいよ」
「そう・・・。値段も結構いいでしょう」
「でも、値段の価値あるよ」
「食事もだけど、チェックアウトは12時までOKだし、旅や地元を特集した本を集めた図書室なんかあって、コーヒーやシャンパン飲みながら読書できるし・・・とにかく楽しめる宿だよ・・・」
以来、Hリゾートに一度宿泊したいと思っていました。

ひょんなことから昨日22日熱海に行きました。
念願のHリゾートに宿泊することにしました。
評判通り、行き届いたもてなし、施設に感激。
笑顔を絶やさない、若い従業員達の接客態度に感銘。

MOA美術館改装のため、所蔵の「紅白梅図屏風(尾形光琳作)」がしばらく見られなくなるということです。
芸術も美術も良くわからないが、教科書に出てきた有名な作品なので見ておこうという、単純な動機で行ってきました。
30数年前に一度、見学に来たことがあります。
その時は、黄金の茶室だけしか印象に残りませんでした。
なのに今回は妙に感動しました。
これも歳のせいなんでしょうか。
(この感動も時間と共に忘れるのでしょうか)
11時チェックアウト、1泊2日、MOA美術館と温泉と宿を堪能してきました。
「熱海梅祭り」で観光客もたくさん出ていました。
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「遠山あき追悼展」に行ってきました
1月21日(木)晴れ
今日も快晴です。
今月24日で終わるという「遠山あき追悼展」。
残りの日数がありません。
今日は特別予定もない。
天気は良い。
急に行くことにしました。
道路も空いていました。
2時間とみていたら1時間20分で到着。
市原市立図書館の一角で行われていました。
思ったより小規模でした。
華美を好まず、いつも控えめな先生らしい追悼展なのかもしれません。
家族からの「お礼のメッセージ」がありました。

(前略)ある時、母に言葉をかけました。
「おばあちゃんは、いつ文を書いたりしているの?」
「おばあちゃんはね、畑や田んぼに行く時に歩いているとおもしろいものや、楽しそうなものがたくさん目に入ってくるの、それは、それは」
といいました。(中略)
 小さい種、無造作に土の中に産み落とされたカメの卵等々小さな小さな命のものとは、その大地の中で命をもらい育み育っていくという自然の不思議な摂理の虜になったのではないかと思います。母の文章を書く原典をつき止めたような気がしました。(後略)

99歳の生涯でした。
お世話になった感謝のメッセージを書いて帰宅しました。
晩年「大多喜中学事件」を題材に自由教育のことを書きたい、とおっしゃっていましたが、実現されたか気になります。
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