じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

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「遠山あきさんの追悼展」
1月17日(日)曇り
1月15日の朝日新聞千葉版に、「遠山あきさんの追悼展」が掲載されていました。
遠山先生にはとてもお世話になり、影響を受けました。
まさにわが心の恩師です。
お会いすると「書いていますか?○○○さん、素敵な名前ですねえー」といつもおっしゃってくだいました。
いつも第一声が「文章を書いているか」という質問でしたした。
そしてどういう訳か、いい名前だねえーと、名前をほめてくださいました。
今思うに、何も取り柄がなくほめるところが見あたらないので、変わった名前をほめられたのでしょう。
30年前に先生の著書「山村物語~ふるさと房総の農に生きる」に感動したこと、文集に文章引用させてもらいたいことを、お手紙でお願いしたのがきっかでした。

・・・自分の歩いてきた道をふりかえってたしかめるためには、一文字一文字みよって、私の足跡をなぞってみるほかはない。人に見せるためではない。自分を納得させるためだった。(中略)夢中で過ごした時間が再現され、確保され、自分の姿がありありと見えてくる。(中略)自分のことばかりでなく、まわりの人々の姿も、思いがけない姿で立ちあらわれる。(中略)書くことは、私を知ることであり、人を知ることであった。言い替えたら、私にとって、私の晩年にとって恵まれた生き甲斐であった。・・・

先生がこの「山村物語」を書かれたのが69歳です。
その後、たくさんの本を書かれました。
新刊本が出ると、時々贈呈してくださいました。
おっさんも、拙い著書を送ると原稿用紙に感想や批評を書いてくださいました。
今思うに、忙しかったでしょうに、よくもたくさん書いてくださったと、感謝の念でいっぱいです。
24日まで開かれているという、必ず行ってみようと思っています。
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11月5日(水)曇り
「だいじょうぶ だいじょうぶ」と「あんとんねえ。あんとんねえ」
朝6時、雲におおわれた空。
薄暗く、寒い朝でした。
ラジオ体操も手袋をしてくる人が増えました。
もう少しガマンしようと、手袋はまだかけていません。
最高気温は20度を割って18度だそうです。
寒い1日でした。
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新聞記事「『だいじょうぶ』が励み」が心にのこりました。
同時に、職場の上司だった故Sさんを思い出しました。
Sさんの言葉は「あんとんねえ」でした。
30代のころ、職場で忘れ物はじめ失敗をたくさんしました。
失敗で意気消沈しています。
でもその度に、「そんなことくらい、あんとんねえ。あんとんねえ」とおっしゃってくださいました。
「あんとんねえ」は「大したことじゃないよ。大丈夫、大丈夫」と言った意味です。
この言葉にどんなにか癒やされ、もう二度と失敗しないぞ、と思ったものでした。
そして自分が上司になったら、こんな人になりたいと思ったものでした。
「だいじょうぶ だいじょうぶ」どんな本か、ネットで調べました。
こんな文が載っていました。
以前、僕とおじいちゃんは毎日のようにお散歩を楽しんでいました。
家の近くをのんびり歩くだけの散歩でしたが、僕の世界はどんどんひろがり、新しい発見や楽しい出会いがありました。
でも一方で、困ったことや怖いことにも出会うようになり、なんだかこのまま大きくなれそうにないと、思えるときもありました。
そのたびにおじいちゃんは僕の手を握り、
「だいじょうぶ だいじょうぶ。」
とおまじないのようにつぶやくのでした。
それは、この世の中、そんなに悪いことばかりじゃないってことでした。
だいじょうぶだいじょうぶ
小さなぼくが不安な気持ちになると、いつもおまじないの言葉で助けてくれたおじいちゃん。生きていくためのしなやかな強さを育む、心にしみる絵本です。
どくしゃのみなさんへ
おじいちゃん、おばあちゃんをさそって、みんなで、さんぽにでかけよう。ゆっくり、のんびり、あるいていけば、ほら、ぼくらのまわりは、こんなにも、たのしいことがあふれてる。――いとうひろし
 
そして読者の感想も載っていました。
イメージ 2「ボク」になって読みます
おおきなエピソードが描かれているわけではありません。
ボクとおじいちゃんの、小さな日常が淡々と描かれています。
その日常の中で、ボクは少しずつ成長していきます。おじいちゃんの「だいじょうぶ、だいじょうぶ」という魔法の言葉を頼りに。
そして最後。今度はボクがおじいちゃんに……。
ボクの成長ぶりに、胸を突かれました。
 出会いは立ち読みでしたので、本屋さんで涙をこらえるのが大変でした。
 自分のおじいちゃんのことも思い出しました。いつも優しく笑ってくれた人でした。大好きな絵を描いてみせると、うまいうまい、を連発してくれました。
そういう「温かい思い出」は、色あせないことも知りました。
 子供たちにもこういう思い出を作ってほしいなぁ。
これを読むとき、私は「お母さん」ではありません。「ボク」になります。おじいちゃんに見守られていた子供時代に戻ることができます。
とっても温かそうな本と感じました。
図書館で探してみます。
こんなことばに出遭うと、ことばは「言霊」って感じます。

10月26日(日)曇り
本の片付けは「断捨離」精神で
仕事が一段落したした部屋は、本でゴタゴタです。
使った本は元に返せばいいのですが、使ったままです。
小さな部屋の本棚はいっぱいです。
本棚には入りません。
床に置かれた本、机の上の本。
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仕方なく。もうひろげないだろう本を倉庫に運びました。
いつものことですが、倉庫に持っていく本をどれにするか悩みます。
ペラペラ本をめくり始めると、仕事が進みません。
手放すのが惜しくなってしまいます。
でも、手放さなければゴミの部屋です。
古本屋に持って行っても、おそらく引き取ってもらえない本ばかりです。
「この本は値段がつきませんが、お持ち帰りになりますか。こちらで処分しますか」
持ち帰っても、置く場所に困るだけです。
「・・・処分してください」と、言わざるを得ません。
悲しいです。
最近、古本屋ではなく隣の駅に置く方法を知りました。
処分に困った古本を置いて、小さな図書コーナーが設置されています。
駅の待ち時間に立ち止まって見ている人も多いようです。
ひとまず、倉庫に入れ、後日隣駅にでも持っていこうと思っています。
古い雑誌は、明後日が古紙・雑誌の収集日なので出すつもりです。
いつものことだが、本を手放す時は心が痛みます。
「長い間ありがとう。お世話になりました」
断捨離の精神で倉庫に運びました。               
 

10月2日(木)曇りのち雨
写経がこんなにもストレスを感じるとは
生まれて初めて写経を体験しました。
「お経一字一字にはそれぞれ仏さまが宿っております。すなわち写経とは仏さま一体一体顕す誠に尊い行いと申せましょう」という、写経の勧めが添えてありました。
「写経は精神が落ち着く。こころが癒される」
などと聞いていたので、一度体験したいと思っていました。
そんなわけで、長年の願いがかないました。
しかし、この尊く心癒されるはずの写経が、こんあにも苦痛でストレスが溜まるとは・・・。
最初は、ありがたいお経なので筆で書こうかと思い、一行書いてみました。
肩は凝るし、時間がかかります。
10月4日までに、檀家寺に持っていかなければなりません。
筆で優雅に書いていたのでは、時間ばかり経って、もったいない。
「やあーめた」とばかり、筆はあきらめました。
鉛筆でもボールペンでも良いとのことです。
鉛筆に変更しました。
ただ、映すだけ。
20分もあれば終わるだろうと思いきや・・・。
途中で飽きるし、肩は凝る、はかどらない作業にイライラ・・・。
結局、途中コーヒータイムを入れて55分もかかりました。
終わてすぐにあんま機に座って、しばらくマッサージ。
なぜこんなにストレスが溜まるのか、わかりました。
昔、学習した「言語学習が易しくなるとき、難しくなるとき」というグッドマンという学者の説を思い出しました。
学習が易しいとき (ことばが・・・)    学習が難しいとき(ことばが・・・)
・現実的で自然なとき                        ・人為的なとき
・意味が実感できるとき                      ・意味がないとき
・学習者にそれを使う力があるとき    ・学習者が力不足の時
・学習者のものであるとき         ・他の人のものであるとき
・現実のできごとの一部であるとき   ・前後関係の流れの外にあるとき
・社会に役立つとき             ・社会的に価値のない時
・・・・・・                    ・・・・・・
学習者(私)に漢字を読めたり意味を理解する力がないというのが、退屈でストレスを覚える原因のようです。
意味を見いだせず機械的に作業をしたのが、ストレスの要因です。
尊い写経をストレスが溜まるとは、何て罰当たりなんでしょうか?
良い体験になりました。
意味がわかればおもしろいのでしょう。
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8月28日(木)雨
仕事が一段落しました
朝から肌寒いシトシト雨。
「夷隅地方の妖怪伝説」のパソコン打ちが終わりました。
挿絵も決まり、一段落。
今日は雨、「表誌」を決めてしまおうと、朝からパソコンとにらめっこ。
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いつくかの絵を選んで、意見を聴きました。
「全然、妖怪らしくない絵、もっとじっくり考えたら」
言われると、そうだよなあー。
妖怪って恐ろしい、「不気味」っていうイメージ。
それなのに、「可愛らしい」っていうイメージだよなあー。
新しく描く気力はありません。
そこで、以前、描いた絵を使うことにしました。
「ま、これでいいか」、いつものいい加減な性格が出て、これに決定。
印刷屋さんへ持参して、ひとまず一段落。
小さなことでも、一段落は嬉しいものです。
(終わった、終わった。おわーりました)と、心で歌いながら、テレビの前でゴロゴロ。
午後3時過ぎ、雨が止みました。
海岸へ散歩へ。
合宿の高校生達が声を出しながら砂浜をダッシュしていました。
サーファーが結構出ていました。
歩きながら、腰に手を当てて、腰を回したり、延ばしたりしていたので、腰痛持ちと思われたのでしょうか。
歩き方が不自然だったんでしょうか。
「なかなか治らないですよねー」
知らない年輩のおばあちゃんが声をかけてきました。
「腰が痛くてねえ・・・」
「私も痛くてねえ。今日はずっと家の中だったから・・・」
「動くと少しはいいですよねえ」
「少しはねえー。でも、腰は治らないよ」
・・・何と言うことをおっしゃるのです。
うそでもいいから、「歩くと治りますよ」と言ってもらいたかったのに。
これから夕飯です。
仕事一段落の祝にビールで一杯やりますか?
いや、少し寒いので日本酒にしましょうか?

 

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