じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

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楽しみを窃盗団にやられました
7月20日(水)晴れ
今年はトウモロコシが思いのほか良くできました。
毎朝3本収穫し、楽しんでいました。
お裾分けすると、「スーパーのと同じだね」なんて言われ、気をよくしていました。
2回ほど被害に遭いましたが、2回とも1本ずつで、「なかなか紳士だね、1本だけで・・・」と心のゆとりもありました。
随分お世話になって、残り10数本となりました。
次のトウモロコシが生長するまで、大事に食べようと思っていました。
ところが今朝取りに行ったら、こりゃ、何じゃ?
折られて食べ散らかされています。
8本もやられていました。
4本残っていました。
この4本は実の少ない不出来なトウモロコシ。
大きくて実の多いトウモロコシは食べられています。
不出来なトウモロコシ4本も、やられない前にと思い、取ってきて食べました。
この怒りをぶつけるところもなく「ま、これが自然界の摂理か?次のトウモロコシの生長を待つか。また種をまた蒔こう」と怒り心頭の自分に言い聞かせました。
でも、腹が立ちます。

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昨夜の強風でトウモロコシが傾きました

7月15日(金)曇り時々雨

昨夜は、遠くで雷が鳴っていました。
「遠雷」って、このことでしょうか?
風雨が激しかったらしく、地面は濡れ、トウモロコシは傾いていました。
トウモロコシは2回目に蒔いたタネが育ったものです。
食べられるようになるには、もうしばらく日数が必要です。
2~3週間くらい必要でしょう。
朝の散歩は海岸の波打ち際まで。
雨の翌朝は砂が固まって、歩きやすいのです。
午前6時、波打ち際にはすでに足跡がついています。
海の家も建っています。
先週の土曜日、9日が海開きだったそうです。
9時30分過ぎから雨が降ってきましたが1時間ほど降って止みました。
午後からトウモロコシ起こし、畑の草取りをしました。
午後5時過ぎ、雨は降ったり止んだり。
夕方の散歩に出かけようとしたら、シトシト降っています。
肌寒い、風をひいたらマズイ。
散歩中止。
千葉県北部は豪雨で、被害が出たとニュースで報道しています。
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       9月4日(水)雨夕方晴れ
              足尾銅山鉱毒事件と原発事故
まとまった雨が朝から降りました。
強く降ってきたかと思うと止み、止んだかと思うとまた強く降り出すという天気でした。
昼頃は雷が鳴り、本格的な雨模様になりました。
アスファルト道路が川のようになる場面もありました。
ニュースでは外房線が一部運休になったと報道していました。
雨の日は新聞をじっくり読みます。
今朝の天声人語が心に残りました。
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足尾銅山鉱毒事件と原発事故、似ています。
「人を救うより富国強兵を優先」「経済のためには原発再稼働」
とても似ています。
「15万人にのぼる避難者は忘れがちだ」も同感です。
大熊町の友人も、着の身着のまま避難してから、ずっと避難生活です。
わが家に帰れない避難生活を続けています。
 
放射能汚染漏れが次から次に起きています。
9月から予定されていた福島沖の漁の試験操業が延期になったそうです。
漁師達の怒りもテレビや新聞で連日報道されています。
なのに、原発再稼働こだわるのでしょうか?
お偉いさん型は、「歴史に学ぶ」なんて言いますが嘘ですね。
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スーパーにサツマイモが並んでいました。
夕方、陽が出てきたので、サツマイモを掘りました。
3株掘ったのですが写真のようにあまり実がついていません。
おまけに小さいです。
サツマイモは肥料はいらないといいますが、やはり肥料が不足したようです。
明日の朝、蒸かします。
 
 
 

   11月25日(日)晴れイメージ 2
放射能ほど恐ろしいものはねえな

連休最後の日、朝から快晴です。
月の沙漠記念館広場の階段一段一段にに木枠がはめ込まれた。
「何か行事でも行われるのですか?」
「クリスマスのイルミネーションらしいですよ」
「ああ、今年もクリスマスの季節ですね」
その後、河口の「遊月橋」と「月の砂漠公園」にイルミネーションの為の工事が進行していった。
そして、「おんじゅくイルミネーション準備中」の横断幕が登場。
 
3,11東日本震災後、電力不足と日本中が騒いだが、イルミネーションを灯す電力はあるようだ。
これなら原発に頼らない電力供給、脱原発も可能では?
 
衆議院の選挙がある。
脱原発推進を実現して欲しい。
なぜって?
イメージ 3発がある限り、3,11のような事故がいつ起こるかもしれない。
放射能におびえながら生活するなんて・・・?
それなら、原因となる原発なんて無い方が良い、と思うけど。
イルミネーションの無い生活を強いられても、節電を強いられても良いから脱原発を強く望む。
 
でも今朝の新聞によると「電力議員」は原発再稼働を推し進める運命にあるらしい。
これが人間社会ですかね?
しがらみの中で生きる。
何だか哀しい現実です。
脱原発のデモに加わったことで、「反原発デモに参加して本当に申し訳ない・・・政治の世界に入ったのが鳩山由紀夫元首相。ついて行かざるを得なかった」と釈明。
何だか格好悪いけど・・・。
イメージ 1それとも、人間らしいと言うのかな?
当事者なら、やっぱりこういう行動に出てしまうのかな?
「節操のない?」と一概に言うこともできないような気もしてならない。
でも、「・・・放射能ほど恐ろしいものはねえな」はもっともっと身にしみる言葉だ。
                       
                                             新聞:「朝日新聞11月25日朝刊」
  

        6月16日(土)雨
      第二の福島が起きてから「一億総ざんげ」をする?それでは遅いのです
6月13日、野田首相は「国論が二分する中で、責任を持って判断した」と言った。
この夏、電力が不足するので原発を再稼働するという。
福井県知事も再稼働に同意した。
強く反対していた橋下徹、大阪市長ら関西の広域自治体連合も「再稼働容認」に変わった。
今日(16日)の夕刊には「大飯原発再稼働を決定」の記事が載った。
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何だか怖い動きだ。
戦後生まれなので書物や映像から受けた感覚だが、「戦争」へ進んだ時の臭いがしてならない。
この臭いを代弁してくれた記事があった。
 ・・・(略)・・・国策として進められた戦争の果てに、広島・長崎への原爆投下がありました。そして昨年、国策とされた原発推進の果てに、福島の原発事故が起きました。私にはこの二つが重なって見えます。どちらも一朝一夕に起きたわけではありません。なぜそうなったかを振り返る歴史認識が必要です。(略)・・・国民の多くもまた、脱原発へのはっきりとした決意を持てずにいます。第二の福島が起きてから「一億総ざんげ」をする?それでは遅いのです。(略)・・・原発を受け入れた自治体は麻薬のようなお金で、子孫に対する倫理観までマヒさせられた。その意味で、巨大な原発推進システムに土足で踏み込まれた被害者なんですよ。
 かたや、関西広域連合の知事たちは一度、大飯原発で万一のことがあればそれぞれの府県にも被害が及ぶと、再稼働に反対しました。それなのに軽々しく「事実上の容認」と態度を変えてしまう。半世紀にわたる原発の歴史の総括を欠いているから主張が薄っぺらなのです。(略)
 大量の電力を消費している都市部には、原発が立つ地元の足を踏んづけている意識が欠落しています。自のことのように引きよせて、他社の痛みを知る。仏教が説くのはそのような倫理です。他者を犠牲にしながら自分たちの幸せだけを追求してはいけないのです。(略)
                                    中嶌哲演(なかじまてつえん)  42年生まれ 僧侶 
                    『再稼働、それでも』朝日新聞6月15日朝刊より
 
勇気ある嘉田由紀子滋賀県知事の発言
国民の多くが、国民の知らない所でこのようなことが行われているんだ。
「長いものには巻かれろ」論があることは、うすうす感じていた。
それは国民の耳には届かぬもの、これが現実なんだ、これが大人の社会なのだ、と半ばあきらめていた。
ところが嘉田由紀子滋賀県知事が内幕を明かしてくれた。
やっぱりと思った。
「関西電力さんからも、また国からも、あるいは企業からもずいぶんと警告され、そしてある意味で『本当に停電になったらどうするんだ』ということを、きつい言葉ですが、かなり脅されました。『お前は責任がとれるのか』 と」。
勇気ある行動だと思う。
嘉田由紀子こそ、真の政治家だと思う。
中嶌哲演(なかじまてつえん)さんのいう「第二の福島が起きてから『一億総ざんげ』をする?それでは遅いのです」がビンビン響いてくる。
 
停電で死人が出たという話はきかないイメージ 2
テレビを見ていた。
再稼働賛成者が言っていた。
「計画停電になるとモノ作りがまったくできなくなる」
「夏場に機械が止まると生活にも影響が出る。給料も減る」
「老人ホームはすべて電力なので止まったら患者が危ない」
それを聞いた司会者が言った。
「停電になったら生活に困る。その通りでしょう。しかし15%節電もできる。どっちをとるかといったら、私は節電をとる。・・・停電で死人が出たという話はきかない」
相変わらず難しいことはわからない。
でも、「1%でも第二の福島事故が起きる可能性があるのならみんなで節電しましょう」と言っているように思えた。
私も司会者に賛成だ。
人の命あっての社会、これが「絆」でしょう?
 
                                 *新聞「朝日新聞」6月16日夕刊から
 
 

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