2月6日(水)雨
二月の雪、三月の風、四月の雨が 輝く五月をつくる
朝から雨。
雪にならなくてよかった。
朝から快晴の日はもちろん好きだが、朝から雨も時には好きです。
ラジオ体操も散歩も行かなくていいし、どこか出かけようか?という気持ちも起こりません。
朝からパソコンとにらっめこ。
あきたら読書。
まさに「雨読」の生活です。
二月の雪、三月の風、四月の雨が 輝く五月をつくる
朝から雨。

雪にならなくてよかった。
朝から快晴の日はもちろん好きだが、朝から雨も時には好きです。
ラジオ体操も散歩も行かなくていいし、どこか出かけようか?という気持ちも起こりません。
朝からパソコンとにらっめこ。
あきたら読書。
まさに「雨読」の生活です。
先日Mさんから、「おもしろいから読んでみない」と勧めてもらった内舘牧子さんのエッセイ。
内舘さんの本は私も大好き。
小説はあまり読んだことがないが、内舘さんのエッセイは曾野綾子さんのエッセイと共に大好き。
52歳で東北大学大学院入学の体験記。
タイトルは「二月の雪、三月の風、四月の雨が 輝く五月をつくる」と長い。
内舘さんの本は私も大好き。
小説はあまり読んだことがないが、内舘さんのエッセイは曾野綾子さんのエッセイと共に大好き。
52歳で東北大学大学院入学の体験記。
タイトルは「二月の雪、三月の風、四月の雨が 輝く五月をつくる」と長い。
あとがきにタイトルの解説が次のように述べられていました。
時々、サインを下さいと言われることがあります。
そういう時、もう何年も昔から、
「二月の雪
三月の風
四月の雨が
輝く五月をつくる」
と書いてきました。
これは元の文章が『マザー・グースの唄』の中にあります。
March windows and April showets
Brinng forth May Flowers
北原白秋はこれを、
「三月、風よ、四月は雨よ、
五月は花の花ざかり」
と訳し、谷川俊太郎は、
「三がつのかぜと、四がつのにわかあめ
五月のはなを さかせるちから」
と訳しています。
私は自分で「二月の雪」も加え、自分流の解釈をしました。つまり、二月は雪が降り、三月は強い風が吹き荒れ、四月はにわか雨に叩かれることが多い月です。いずれも、ありがたいとばかり言い切れない自然現象です。でも、雪や風雨や、そういうイヤなことが、輝く五月をつくってくれるのねと、少し元気が出たりします。
逆に考えると、イヤなことが全然ない人間は、のっぺらぼうでつまらなくて、たいして輝かない五月しかつくれないよねと、いくらでも自分を力づけられるわけです。・・・(後略)
そういう時、もう何年も昔から、
「二月の雪
三月の風
四月の雨が
輝く五月をつくる」
と書いてきました。
これは元の文章が『マザー・グースの唄』の中にあります。
March windows and April showets
Brinng forth May Flowers
北原白秋はこれを、
「三月、風よ、四月は雨よ、
五月は花の花ざかり」
と訳し、谷川俊太郎は、
「三がつのかぜと、四がつのにわかあめ
五月のはなを さかせるちから」
と訳しています。
私は自分で「二月の雪」も加え、自分流の解釈をしました。つまり、二月は雪が降り、三月は強い風が吹き荒れ、四月はにわか雨に叩かれることが多い月です。いずれも、ありがたいとばかり言い切れない自然現象です。でも、雪や風雨や、そういうイヤなことが、輝く五月をつくってくれるのねと、少し元気が出たりします。
逆に考えると、イヤなことが全然ない人間は、のっぺらぼうでつまらなくて、たいして輝かない五月しかつくれないよねと、いくらでも自分を力づけられるわけです。・・・(後略)
いい言葉ですね、二月はまさに今です。
さらに三月、四月、そして輝く五月。
ぜひ輝く五月にしたいですね。
輝く自然の五月に負けないくらいに。
ブログ表題のコメントもいつまでも「新年明けまして・・・」じゃないですね。
この内舘さんのことばをいただき、今日から変えました。
さらに三月、四月、そして輝く五月。
ぜひ輝く五月にしたいですね。
輝く自然の五月に負けないくらいに。
ブログ表題のコメントもいつまでも「新年明けまして・・・」じゃないですね。
この内舘さんのことばをいただき、今日から変えました。
ブログタイトルも「○○晴耕雨読」でしたが、ブログに自分の名前を入れる人は少ないのよ。危険よ」と言われて続けていたので、気になっていましたので変えます。
輝く五月になるように、二月三月四月を過ごしたい。