じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

タグ:ボランティア活動

          8月3日(土)晴れイメージ 1
         寂しい民話発表会でした

「夷隅民話の会」に民話の読み聞かせの依頼がありました。
Kホテルで、宿泊のお客さんを対象に、民話の読み聞かせをしてくれ、との依頼です。
ホテルは、地域の特色を生かした企画ということで、私達に依頼されたようです。
ホテルのブログでも宣伝されていました。
そしてホテル内に入ると、民話の読み聞かせのポスターがあちこちにはってあるではありませんか。
 
お客さんは中学生の団体が入っているようです。
この中学生を対象に、民話の企画を考えられたのだと察しました。
イメージ 2ホテルの方に聞くと、やはりこの中学生を対象のようでした。
でも、ホテルの思惑と団体の思惑は違っているようです。
夕食後の中学生は打ち合わせや他の活動が入っているようです。
これでは、民話会場に中学生は来ることができません。
 
予定の午後7時30分、会場には小学生の子ども連れ家族3組。13名ほどです。
1,もうれんやっさ(いすみ市)
2,でぇでっぽ(御宿町)
3,夷隅地方の妖怪と神様
4,串浜(勝浦市)イメージ 3
5,キツネをばかした話(大多喜町)
以上を準備して行ったのですが、このお客さんも花火を予定しているので中座されました。
結局、予定したものを全部発表することなく、終了しました。
地域に根ざした観光企画と思ってホテル側は要請してくださったんでしょうが、やはり民話は現代には合わないのでしょうか?
何だか、寂しい、気落ちした発表会でした。
 
 

        7月4日(木)雨
        66年前の修了証書です。私もだいぶ古くなりましたがね。ハハハ

ラジオ体操に行くと、Mさんが封筒を渡してくださった。
イメージ 1「珍しいものが出てきたので、持ってきてみました」
「なんですか?」
「小学校の時の終了証書です。国民学校ですよ」
「国民学校?」
「古いもの好きでしょう」
「初めて見ました。こんなに小さかったんですね」
(たて18,5センチ 横28センチ (B5版)の大きさです)
「ちょうど1年生の12月に太平洋戦争が始まって、5年生の8月に終戦でした」
「貴重なものですねー。お借りしてもいいですか」
なかなかお目にかかれないと思い、借りてきました。
「子どもながら言葉に言い尽くせないほどいろいろな体験しましたよ。あの頃は夢中でしたが、今思い出すと懐かしい思い出です」
「そうですか・・・」
「66年前の、ずいぶん古い物です。私もだいぶ古くなりましたがね。 ハハハ・・・」
と、明るく笑われました。
 
国民学校って戦時中?
具体的に昭和何年から何年までなのかネットで調べて見ました。
1937年7月7日、盧溝橋事件を発端として日中戦争が始まる)
1941年(昭和16年) 3月1日 - 国民学校令(昭和16年勅令第148号)が公布される。
4月1日 - 国民学校令の施行により、従来の小学校が改組され国民学校が発足。 尋常小学校を国民学校初等科(修業年限6年)、高等小学校を国民学校高等科(修業年限2年間)とする。
尋常高等小学校を国民学校初等科・高等科とする。
公立師範学校等の附属小学校を附属国民学校とする。
私立の小学校は私立学校令によって設立されたものと見なされ、国民学校への改称は認められていなかった(私立の国民学校はなかった)。
12月8日 - 対英米開戦(太平洋戦争勃発)。
1944年(昭和19年) 2月 - 戦時非常措置により、同年4月に予定していた6年から8年への義務教育年限延長が延期されることになる。
6月 - 戦況悪化により、学童疎開促進要綱が閣議決定され、都市部の国民学校初等科児童の地方への疎開が推奨される。
1945年(昭和20年) 3月 - 決戦教育措置要綱が閣議決定され、昭和20年度(同年4月から翌3月末まで)高等科の授業が停止されることとなる。
5月22日 - 戦時教育令が公布され、高等科の授業を無期限で停止することが法制化される。
8月15日 - 終戦。
8月21日 - 文部省により戦時教育令の廃止が決定され、同年9月から高等科の授業が再開されることとなる。
9月26日 - 文部省により疎開児童の復帰が指示される。
10月 - 日本教育制度に対する管理政策により、軍国主義および極端な国家主義思想の普及が禁じられる。
12月 - 国家神道・神社神道に関する指令ならびに修身・日本歴史および地理停止に関する指令が出される。 当時使用されていた教科書・教師用参考書から、神道教義に関する事項が全て削除され、すべての学校で修身・日本歴史・地理の授業が停止された。
1946年(昭和21年) 7月 - 文部省で新たに編集した暫定教科書を使って地理の授業を再開。
9月 - 修身教育に代わる科目として公民科を課されることとなる。
10月 - 文部省で新たに編集した暫定教科書「くにのあゆみ」を使って日本歴史の授業を再開。
1947年(昭和22年) 3月 - 教育基本法と学校教育法が制定・公布される。
4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校が廃止される。 国民学校初等科は新制小学校に改組され、国民学校高等科は新制中学校に改組される

 
Mさんは国民学校の発足と共に小学校入学、国民学校廃止と共に小学校卒業です。
時代に翻弄された生活だったと思います。
「当時使用されていた教科書・教師用参考書から、神道教義に関する事項が全て削除され、すべての学校で修身・日本歴史・地理の授業が停止された」とは、「すみぬり教科書」のことでしょうか?
いつも笑顔のMさん。戦争という過酷な小学校時代を送られたと、思うと明日からMさんを見る目が違ってきそうです。
「66年前の修了証書です。私もだいぶ古くなりましたがねー ハハハ・・・」と、笑われたのが妙に心に残っています。
 

         5月12日(日)晴れ
         「いすみライフマーケットinちまち」で紙芝居  イメージ 1       
「NPO法人いすみライフスタイル研究所」主催「いすみライフマーケットinちまち」がありました。
私たち「夷隅民話の会」も発表させてもらいました。
事前に、「NPO法人いすみライフスタイル研究所」のホームページで紹介していただきました。
次のような紹介文です。
 〈夷隅民話の会presents〉
 みんなで民話を聞こう、知ろう!
夷隅民話の会のみなさんによる紙芝居の会です。
 当日、教室では10時から12時のあいだ、みなさんのリクエストに応じて随時紙芝居をしてくれます。
 お話は「すずめとつばめとこうもり」、「腰を打ったえび」、「とどろき山の天狗」などなど、ほかにもたくさん用意してくれるそうです。イメージ 2
 お子様はもちろん、大人の方も参加して、覚えたお話を帰ってから披露するというのはどうでしょう?
時間:10:00~12:00頃
 場所:教室5
 参加費:無料
場所は「教室5」?
そう、旧千町保育所です。
そのため、「教室5」なんです。
教室といえば、黒板、机、教卓、イス、チョークです。
子ども用机はありませんでしたが、ほかは全てそろっていました。
懐かしい教室です。
それも木造校舎です。
木造校舎は温かく、ぬくもりがあります。
黒板のある教室で、子ども用のイスに座っているだけで癒されます。
この教室で、民話の紙芝居を上演させてもらいました。
お客さんは、決して多くありません、むしろ少ないです。
願わくば、小学生に聴いてもらいたいです。
でも今日、それはぜいたくです。かなわぬ夢です。
なぜなら少子化社会です。
おまけに子どもは多忙です。
もしかしたら、今の社会で一番多忙なのは子どもかもしれません。イメージ 3
日曜日の子どもたちは、子供会、学校の部活、スポーツ教室、学習塾、おけいこ塾・・・です。
こんな社会状況のせいでしょうか、小学生の姿は少ない。
民話の教室で紙芝居を見てくれた小学生は数人でした。
今日、イベントの難しさを痛感しました。
 
「ブログを見て来ました」と、市原市国分寺台から来てくださった方がいました。
「私も読み聞かせや紙芝居をやっているんです」とう現役の保育所職員。
「絵は自分たちで描くのですか」
「この話の場所が実際にあるのですか」
・・・と、興味を持ってくださったようです。
 
「NPO法人いすみライフスタイル研究所」をはじめ、たくさんの人たちが、いすみ市はじめ夷隅郡市の活性化のために頑張っていらしゃる姿に感銘しました。。
「夷隅民話の会」のイベントも、この人達と連携して何か新しいことが出来るのではという、新たな希望がわいてきました。
「NPO法人いすみライフスタイル研究所」のみなさん、声をかけていただきありがとうございました。
また、声をかけてください。
 
 

      2月27日(水)小雨
      「西畑歳時記」が新聞に載りました
「夷隅民話の会」という、民話愛好会をつくっています。イメージ 2
消えゆくもの、なくなるものへの愛惜なのか地域に伝わる民話を集めています。
民話の他に最近では、方言やむかしの行事、しきたりも集めています。
どれも、民話と同じく消えたものなくなりつつあるものです。
なくなりつつあるものに、行事や風習があります。
西畑地区は典型的な過疎地帯。
日本の多くの地方と同じように、若者が都会に出て、少子高齢化の道を歩んでいます。
この「西畑地区」の年中行事や風習を94歳の鈴木さんが書いてくださいました。
昔の地区の様子、人々の願いや思いも伝わってきて、とても興味深く読みました。
もっと大勢の人に読んでもらいたいと、私たち民話の会でパソコンで打って冊子にしました。
そのことが朝日新聞千葉版に載りました。
 
新聞の力は大きい。
ぜひ、ゆずってくだしという電話をたくさんいただきました。
年配の方からの電話が多いです。
西畑出身で50年前にT地区に嫁に来た者です。
新聞の「ひやり」「団子さし」・・・などなつかしい、という電話もいただきました。
冊子が多くの人に読まれ感想をいただくのは本当にうれしいものです。
94歳鈴木さん、ありがとうございました。
ますます、元気でご活躍下さい。
イメージ 1
 
 

          1月9日(土)晴れ
          またまたプロジェクターに泣かされました

「御宿町の民話」について話をする日です。
11時30分に「そばやさんT」に集合。
昼食をとり、5人で会場へ。
最近は、流行に遅れまいと、私たちもプロジェクターを使っての発表です。
会場に着くと、すぐにパソコンとプロジェクターの準備。イメージ 1
この瞬間は緊張します。
プロジェクターを使うのになぜ緊張するのか、不思議にと思われるでしょう。
実は、これまで何回も失敗しているからです。
ランプが切れたり、接続を間違えてパソコンが停止したり、ハプニングの連続だからです。
パソコンとプロジェクターが接続完了し、スクリーンに映像も映りました。
安心しました。
これで開始を待つだけ。
開始の1時が近づいています。
さあ、始まるか?と思った瞬間です。
スクリーンの映像が消えて出てきません。
「ありゃー困った。開始寸前になのに・・・」
仲間も「あれー、やっぱり開始寸前はハプニングが・・・」
と、いつものセレモニーかと、割と冷静です。
慌てるのは操作係の私だけのようです。
「ひとまず消して最初から接続してみよう・・・」と、最初からやり直し。
「あれ、あれ・・・スクリーンに映像が出ない。ダメだ、困ったぞ」
「これはどこにつなぐの?」
「あ、これがはずれている?」
パソコンとプロジェクター接続コードがはずれていたのでした。
・・・・やっと、映像が出てきました。
助かった・・・。
聴いてくださる方は大人。
30名はいらしゃっただろうか。
約1時間30分の話を真剣聴いてくださり、緊張の中にも楽しい時間でした。
それにしても、プロジェクターにはいつも泣かされます。
IT・機会オンチを返上する日が早く来て欲しいものです。
それには、体験を重ねるしかないようです。
「S会」のみなさん、また呼んでください。
今度はハプニングのないようがんばります。
楽しい時間ありがとうございました。
 

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