じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

タグ:俳句、川柳

嬉しい日になりました
11月27日(金)晴れ

晴れました。
朝から晴れました。
時間が経つにつれて雲が消えて真っ青な空です。
寒いです。
でも、寒さも気になりません。
空が晴れたせいもあるのですが、もう一つ要因があるのです。
仕事というか趣味というか9月に発行した冊子が新聞に紹介されました。
読売新聞地方版です。
「顔写真の入った記事なんてブログに載せるもんじゃないよ」と言われました。
でも、定年おっさんにとっては嬉しいことです。
竹内まりやの「人生の扉」でしたっけ、
♪・・・信じられない速さで時が過ぎ去ると知ってしまったら
 どんな小さなことも覚えていたいと
 心が言ったよ・・・

そうなんです、心が言っているのです、覚えていたいと。
新聞記事になる。
定年おっさんにとっては小さなことでなく、結構大きな事です。
小さな事を覚えていたいなら、大きな事はさらに覚えていたいのです。
「新聞見たよ頑張ってるな・・・また本書いてよ」という電話やメールもいただき、嬉しい日になりました。
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夷隅地方の方言『今日はソラミズ』を発行しました
10月3日(土)晴れ
「夷隅民話の会」の冊子がまた1冊完成しました。
今回は民話ではなく「方言集」です。
冊子の題名は「今日はソラミズ~夷隅地方の方言~」です。
「ソラミズって何?」
定年おっさんたち60代でも知っている人は少ないです。
少ないと言うより、私の周りではこれまで知っている人はいませんでした。
ところが今日、知っている人に出会いました。
この冊子を販売してもらっている、0町観光案内所のTさんです。
「また、ご迷惑おかけします。新しく作った冊子です置いてください」
「ソラミズか、まさに今日の天気ですね・・・」
「ソラミズって知っていますか」
「ああ、知っているよ」
ヒャーおどろき。
彼は定年おっさんよりも若いのに、知っていました。
「どうして知っているのですか」
「ばあさんがよく使っていましたよ」
感激。
本文を少し引用します。
今日はソラミズ
  野外の行事の良し悪しを左右するのが天気です。行事実施一週間前あたりになると天気が気になります。長期予報をテレビで見て安堵(あんど)したり、憂鬱(ゆううつ)になったりします。
 平成二十六年五月十五日、勝浦方面への「春の民話さんぽ」の日。今年八十六歳の母が朝、出かけに言いました
「今日はソラミズで良かったねえー」
「は、なに?」
「ソラミズで良かったねー」
「ソ・ラ・ミ・ズ?・・・なに」
「ああ、そうか。ソラミズなんて、今は言わないね」
「初めて聞くことばだなあーー」
「・・・ソラミズとは天気が良いことよ」
「どうして」
「・・空を見なくてもいい、ということだから」
「・・・」
「空を見上げなくても、今日のような快晴の日は、雨も風も心配しなくていい、ということ」
 なるほど、空を見上げて、(雲が出ていては・・・雨になるのでは・・・)と天気の心配をしなくて大丈夫だよ、という意味だそうです。漢字で書けば「空見ず」。
・・・・後略・・・
他に夷隅地方の方言満載の冊子です。
本冊子は大多喜駅前観光案内所「本陣」にて500円にて販売しています。
ご購入ください。
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1月28日(水)雨後晴れ
身体も心も耐えることを忘れています
朝から雨。
あれ、今日の天気予報は晴れのはずなのに?
仕事で久々に出かけました。
高速道路を利用して片道2時間のS市へ。
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傘を持参して、寒くなると言うので厚着をして出かけました。
下着は先日購入したU社の「極暖」を着用。
極暖の上にワイシャツ、そして背広で温かい。
ついこの間まで、「ヒートテックの下着は温ったけー」と思っていたのに。
ヒートテックが特段温かくも感じなくなって、普通になってしまいました。
慣れてしまうと「極暖」も普通になってしまうのでしょうか。
寒さに弱くなっていくのが心配です。
極暖は今日だけにして、明日からはヒートテックにしようと。
そして暖かい日は普通の下着にしなければ。
あれ?今は下着って言わないのかな?
身体が寒さに耐えることを忘れています。
いや、心もかもしれません。

今日の出張で心に残ったことば。
小林の3D
「最善をつくせ、諦めるな、見果てぬ夢を見よ」
トムワトソンの3D
「欲望・欲求、献身、決心・決断」

     6月18日(水)雨のち曇り
     雨上がりの御宿海岸、何だか寂しい
雨が止んだので、夕方、海岸へ散歩。
海岸は爽やかな風が吹いていました。
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先日、海の家の建設準備が進んでいましたが、今日は完成していました。
海の家の軒数が減っています。
観光客が減少しているので、海の家も少なくなっているようです。
特に、家族連れがめっきり減っているそうです。
かつては年間100万人もの海水浴客で賑わったそうですが、年々減少し、現在は15万人程度だそうです。
かつては民宿がたくさんあったのに、民宿の数もすっかり減りました。
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海岸のラクダに乗った王子様お姫さまの像も、今日は何だか寂しく感じられました。
雨上がりのどんよりしたくもり空のせいでしょう。
「加藤はぼんやりと海に向かって浜辺に座っていたとき、急に目の前の砂浜が砂丘になり月に向かってさすらう王子と姫が浮かんできたというのです。昔、人は死んだあとに月にゆくいくという考えがありました。♪ふたりはどこへ 行くのでしょう……。この歌の全体に流れる悲壮感は、死への旅立ちでもあったのです」     「こんなに不思議、こんなに哀しい 童謡の謎2」合田道人著
この一節が浮かんできました。
「死への旅立ち」は寂しすぎます。
やはり「希望への旅立ち」であって欲しいものです。

 

         1月10日(金)曇り
         御宿町に松尾芭蕉の句碑がありました
寒い寒い。
日本中が寒気に覆われているという。
御宿の今朝の最低気温は午前3時、1度。
最高気温は午後3時、6度。
北海道網走は最低気温氷点下11度、最高気温氷点下5度だそうです。
北海道を思えば寒いなんて言っていられません。
寒い寒いと家の中に閉じこもっているのと、ますます寒く感じます。
思い切って外へ。
冷たい風が顔に吹きつけます。
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海岸は風が強そうなので浅間山へ行きました。
浅間山に登ってみました。
途中に碑が建っています。
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達筆です。
流れるような美しい文字ですが、まったく読めません。
町史を読んでいたので松尾芭蕉の句碑であることはしっていました。
帰って「房総の芭蕉句碑~上総・安房編~井上脩之介著」を広げてみました。
香楠居三木雄敬書
眼にかかる時やことさら五月不尽
            翁
写真の碑と本を見比べながら読もうとししましたが、眼と五が読めるくらいで、他の文字はまるで読めません。
句碑について次のような説明がされていました。
元禄7年5月11日に江戸を立って故郷への最後の旅に向かった芭蕉が、箱根を越える際、雨の晴れ間に姿を現した富士山の偉容詠んだ句で「箱根の関越て」の前書きが付いている。
建立者の「本吉蓮蕊(れんずい)」は地元御宿の人で本名本吉保次郎。寺子屋を開いて子女の教育にあたる傍ら、春秋庵幹雄に師事して俳諧を学び、清々舎蓮蕊と号した。明治33年(1900)、73歳で没。同町妙昌寺に門人たちが建てた墓碑には
道立てし身には涼しき旅路かな 蓮蕊
という辞世の句が刻まれている。
補助にあたった「幸保長兵衛は、同町で呉服商を営む商家の主人で、御宿屈指の素封家あった。この人が建碑の資を援けたのである。
「香楠居」は春秋庵幹雄の別名で、彼は「幹雄」を、碑面に見られるように「三木雄」と署名することが多かった。
「甲申(きのえさる)」は明治17年(1884)、「仲夏」は5月。
 
本吉さんってひょっとすると毎朝ラジオ体操で一緒になる本吉さんの祖先の方のようです。
「幸保」っていう姓もあります。
幸保で呉服商で素封家、これもわかりそうです。
素封家とはいえ庶民が芭蕉の句碑を建てるとは、なんと文化が高ったことでしょう。
驚異です。
 
今日は新年会(飲み会)で今、帰宅したところです。
胃が悲鳴をあげています。
 

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