じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

タグ:地震

                       4月3日(水)雨
           チリ津注意報で目が覚めました
▲ビー、ビー ビー
鋭い異常な機械音。
闇に点滅する光。
(何だ、何事だ)
突然眼を覚まされました。
すぐに、スマホから発せられていることは理解できました。
地震警報かも?
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スマホを見ずにテレビのスイッチを入れました。
「チリで北部でM8.2の巨大地震・・・日本へ津波到来の恐れ」
一瞬に3,11の津波襲来の映像が浮かんできました。
(避難しなければならないのか)と不安になりました。
でも、次の瞬間「津波の日本に着くのは午前5時・・・」。
今、何時?
午前3時です。
(避難する際の荷物は・・・)と考えました。
津波の高さは?
「・・・ハワイ到達などの経過を見て情報を出す」とのこと。
まだ、ハワイに来てないのか、日本にはまだまだ時間がある、余裕でした。
突然、サイレンです。
町の防災無線も「・・・津波警報発令。海岸近くや河口付近は・・・テレビやラジオの情報を・・・」と放送しています。
・・・海岸・河口付近だ。ここは大丈夫だろうと布団に入っていると、再び防災無線です。
「岩和田小学校と中学校に避難所を設置しました」とのことです。
▲一日中、テレビから津波情報が流れていました。
九十九里、外房は1mの予想です。
「・・・地形や満潮によって予想よりも高くなる可能性がありますので・・・」と、くりかえしていますが、(1mか?)と安堵しました。
▲昼を食べると、急に眠くなりました。
今朝、早く目覚めたせいです。
そこで、しばらく昼寝。(定年おっさんの特権と認めてください)
・・・・現役の人達は今日の勤務大変だったでしょう。
寝不足でしょう、明日は金曜日、もう一日の辛抱です。
明日を乗り切ると、土・日の休日です。
がんばってください。
津波注意報、6時過ぎ解除になりました。

               3月11日(火)晴れ
              あれから3年経ちました
朝から雲一つない快晴。
風もありませんが、空気は冷たいです。
バケツの水が今朝も氷っています。
快い晴れた空、まさに快晴です。
日の出の時刻が早くなりました。
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午前6時20分、ラジオ体操開始時刻は写真のように海岸は陽が射しています。
陽の光は春ですが、空気は冷たく感じられます。
 
「あれから3年経ちました」
2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災から3年の月日が経ちました。
新聞もテレビも、震災特集です。
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今朝の新聞をじっくり読みました。
心に残った個所はボールペンで線を引きながら読みました。
石巻市の「大川小学校遺族、市を提訴」
・学校管理下で子どもが亡くなった。誰も責任をとらないではすまされない。責任の所在をはっきりさせたい。(保護者)
・自然災害における宿命(市長)
・子どもたちだけなら助かったかもしれない(保護者)
学校
・入学予定者は106人いたが、新入生は11人(南相馬市)
心ない人達のことば
・水泳部にいた友人を津波で亡くした経験を語ると、数人の同級生が言った。「水泳部なら泳いで逃げればいいのに」予想もしない言葉に固まった。(20歳の女性)
原発賠償の線引き
・緊急時避難準備区域の人達には一人あたり月額10万円の慰謝料が払われたが、そこからわずかに離れてだけで、線量が高い地域なのに賠償が受けられない。
被災者のことば
・人に助けられて生まれてきたんだなあって。だから名前ににんべんとさんずいを使った。(伶汰ちゃんの母)
・東京五輪と復興が重なり、被災地が後回しになっている。
・漫画家として「夫婦の何げない幸せも描きたいと思う」一日一日がとても大切に感じる。
・少しずつだけど、前に進めているような気がする、
・くよくよせず、今を大切に生きたいと思う。
・悲しみをお守りとして歩んで行きます。
・福島第一原発が冷める前に、日本人の関心が冷めてしまいそう。
・憲法や消費税も大切だけど、全て吹き飛ばしてしまうのが原発事故なのに。
村上達也さん(前東海村長)
・(略)原発の立地で東海村も、交付金や固定資産税収入、あるいは関連産業恩恵はありました。しかし、それ以外の産業は育たず、むしろ既存の産業が消えていきました。(略)こうした状況を、私は「原発による金と権力の暴風雨」と呼んでいます。一時は潤いますが、後になって気がつけば何もない。福島第一周辺では、何もないどころか、故郷さえ失う決意になった。(略)再稼働などという誤った選択に熱意を燃やすのではなく、国全体の原発退場に向け、しっかりとした工程表を描くことこそ求められています。
被災者の思いや有識者の提言、たくさん載っていました。
「あの日から3年」、忘れかけていた震災を改めて振り返った一日でした。
月日の経過とともに記憶も薄れていきます。
せめてブログに書き留めておきます。
 

         10月9日(水)晴れ
         津波が来たら、どこに逃げますか
空は高く、澄み切った秋空。
でも南からの湿った風が吹き、蒸し暑い1日でした。
風が強く、海岸は砂が飛んでいます。
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台風24号が九州、山陰を通過し日本海にぬけました。
強風で屋根を飛ばされたという被害も報道されています。
「また台風ですね・・・瞬間最大風速50kmとか・・・」
「先日の台風は大雨で川が氾濫・・・土砂崩れもすごかったですね」
「台風被害の所に比べたら、こんな風、たいしたことないですよね」
「御宿は良いところですよね・・・台風の被害はないし」
「そうですねー・・・津波さえ来なければねえ」
「御宿は津波が恐いですね」
「津波だけはね、どうすることもできないですよね」
「逃げるだけですね。逃げるところ決めています?」
「ここなら中学校、浅間山が近いですかね」
「役場はどうですかね」
「役場ね・・・そこも考えているんですが、途中列車のガードがあるでしょう。あそこが地震で崩れる可能性があるでしょう。それに川もあるでしょう・・・」
「日頃から考えていらしゃるんですね」
「最悪はあのマンションですよ。海岸のすぐ近くですが高さがあるからね」
「まあしばらく来ないでしょう。美しい御宿町楽しみましょうよ・・・」
「そうですね。これからが良い季節ですから」
「それにしても、このところは暑い日がつづきますね・・・」
ラジオ体操の帰り道、Yさんとの会話です。
海の近くは津波が怖いです。
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         2月12日(火)曇り
        「御宿の地形は南で起こった津波が恐い」
清水川の河口で枯れた茅を焼いていました。イメージ 1
野焼きの風情がチョット漂って、この時期の風物詩と思いカメラにおさめました。
「毎年この時期に焼いていらしゃるんですか」
「いや、今年だけだ。このままにして置いたら、茅が河口に流されるんだ。すると茅が砂にうまって海岸掃除するのが大変なんだよ」
「いつも御宿海岸はきれいですね」
「俺たちは、あんまりきれいと思わないが、御宿は税金で海岸清掃しているんだ。他の町はそんなことしていないよ・・・」
「いや、きれいですよ」
「昔はもっときれいだった。あれ、あそこに見えるでしょう銀色の砂・・・昔はあの銀色の砂がもっと多かったのだが・・・」
河口付近の白っぽい砂を指さされた。
「ああ、あそこですか。砂の色ちがいますね。O海岸もI海岸も黒イメージ 2
ですが、御宿だけなぜこんなキレイな色なんですかね」
「ああ、よその海岸は砂鉄が入っているからな。砂鉄が入っていると車も簡単に入れるんだが、御宿の海岸は車で入れないんだ。・・・先日もそれを知らない車が入ってね、出られなくなっていたよ。JFを頼んで4万円も請求されたと言っていた・・・」
「震災の影響はまだつづいているんですかね?」
「震災の影響かどうか、観光客は減っているよなー。夏の海水浴客は少ないよ」
「御宿だっていつ津波来るかわかんねー。こん所に家立てて・・・」
と河口付近の家並みを見られた。
「こんな所に家立ててはなんねーだ。御宿だって津波にやられた歴史があるんだから」
「そうですね、元禄地震ですか・・・」
「東北など上の方で起こる津波は大丈夫だけど、御宿は下の南からの津波が怖いんだ。湾が南東を向いているだろう、だから南で起きたらモロ浪が入ってくるんだ」
「そうですか」
「東北の津波の時は上だから俺らは安心してたよ。銚子がここでしょう、ここに浪がぶつかって浪が二つに分散されるでしょう。そして、太東でしょう、ここでも浪が分散されるんだ。・・・それでも、この間は岩和田港は水が引いて空っぽになったらしいが・・・」
橋の欄干に地図を書いて説明してくださいました。
「御宿の地形は南で起こった津波に弱いこと」
「海岸付近は津波を恐れ昔の人は家を建てなかったこと」
海岸清掃のおじさんと立ち話をして、新しい知識を仕入れました。
今度、だれかに話します。
聴かれたら「ああ、この時仕入れた知識だな」と、思ってください。
 

イメージ 1       9月18日(火)晴れ
  拙著「童謡『月の沙漠』と御宿町」、読売新聞(千葉)に掲載
朝夕は涼しくなってきたが、日中は相変わらず暑い。
空も、すじ雲が出て秋になったのかと思うと、入道雲の夏空が健在です。
もう少しがまんすれば暑さが去り秋到来だろうと思っていただけに、連日の暑さにがまんも限界。
体も何だかシャッキとしません。
 
そんなやる気の出ない最近、うれしいニュース。
拙著「童謡『月の沙漠』と御宿町」が毎日・朝日新聞千葉版についで読売新聞千葉版に掲載されました。また自慢話を、と思われるでしょうがうれしいのです。
「わずか170頁の本、そんなに喜ぶな」と思われるでしょうが、うれしいのです。
資料集めに県の図書館から本を取り寄せたり、結構、時間と労力費やしたイメージ 2
のです。
町の図書館は「館」でなく「室」。公民館の20畳くらいの部屋。本の数も限られています。
しかし、この町の図書館から県の図書館にある本を借りることができるのです。
コンピュータで検索して借りることができるのです。
これは助かりました。
 
でも、でもですよ。なぜ都会の人は何回建てもある大きな図書館が近くにあるのに、我が町はこんな貧弱な施設なのです。
同じ県民なのに、同じ税金も払っているのに・・・?(怒っています)
・・・(少し冷静になって)・・・怒っても仕方ありませんか。「県の図書館から借りることができること」を感謝することにしましょう。
我が町の貧弱な図書館に激怒してしまいましたが、拙著に時間と労力をイメージ 3
かけた話にもどります。
時間というと「加藤まさをの出生地静岡県藤枝市」にも行ってきました。
加藤まさをに関する資料はすごい。
藤枝文学館・郷土資料館の中に加藤まさをコーナーがありましたが、収蔵資料がスゴイです。
本家御宿町の「月の沙漠記念館」の比ではありませんでした。本家の資料が少ないのは哀しい。
しかし藤枝市で、このように資料を収集されていることを喜びましょう。
 
我が町でうれしかったこと。
加藤さんと親交のあった内山さん宅にたくさんの資料が大切に保存されていたこと、これはうれしいです。
いつまでも大切に保存してもらいたいものです。
・・・本の出版までパソコンに向かう1年でした。
何度も訂正し校正したつもりですが、間違いがありました。
わずか170ページほどの拙い本ですが、我が分身です。
そんなわけで、新聞にとりあげてもらえたこと、うれしくてうれしくて、又ブログに掲載します。
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読売新聞記者、黒田様ありがとうございました。
 
 
 

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