じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

タグ:短歌

9月8日(月)雨
コスモスや目にもさやかに秋が来た
一日中雨でした。
テレビはテニスの話題でいっぱいです。
今朝の新聞は第1面に「錦織、世界王者を圧倒」「日本初4大大会決勝へ」という文字が躍っています。
社会面も錦織選手偉業の記事です。
今日のブログの写真はこれにしよう、と思いました。
でも、優勝した時の記事を載せたいと思います。
明日の朝午前6時から決勝だそうです。
でも、有線放送W0W0Wとやらに加入しなければならないそうです。
W0W0W放送加入者が殺到し、電話はパンク状態だそうでえす。
今日動いたのは、朝20分の散歩とラジオ体操20分だけです。
完全に運動不足です。
イメージ 1
夕方、雨の中を海まで散歩に行きました。
半袖では少し寒い。
薄手のジャンパーを羽織って、傘をさしての散歩です。
ピンク色の花が雨に濡れていました。
コスモスが咲き始めました。
秋きぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる(古今和歌集・藤原敏行)
(秋が来たと目にははっきりと見えないけれども、風の音にはっと気づいた)
こんな歌がありました。
でも、いよいよ「秋が目にもさやかに見える季節」になってきました。
「コスモスや目にもさやかに秋が来た」の時季になっているのに気がつきました。
そこで「コスモスや・・・」「コスモスの・・・」と、俳句をひねりながらの散歩になりました。
・コスモスや 散歩は同じ 帰路をとる
・コスモスや 時季をたがわず 咲きにけり
・コスモスや シトシト雨も あつてよし
・コスモスの ピンクが揺れる 海の風
・コスモスの 咲きて明るき 里となる
 
今晩は中秋の名月なのに、雨です。
今年もOさんが米粉で作った団子を持ってきてくださいました。
おいしくいただきました。
 

     7月11日(金)晴れ
     自分自身の砂時計。それを感じる感じないかで、日々の時間の使い方が変わる
台風8号が今朝、千葉県を通過しました。
「飛ばされる物は倉庫へ。倒されそうなトマトやキュウリの網はしっかり支柱に結わえて・・・」と昨日準備しましたが、取り越し苦労終わりホットしました。
特にゴーヤのカーテンは、昨年、台風で倒されたので、新たに支柱を打ちました。
被害がなくて何よりでした。
新聞の夕刊が面白い。
文芸欄やエッセイが楽しい。
イメージ 1

昨日は女優黒木瞳さんの連載エッセイをうなずきながら読みました。
「砂時計」の話。
「砂時計を見ていると、トキが過ぎゆくのがとてつもなく速いことが分かる」
「・・・・時間を無駄にしちゃいけないんだって、心から思う」
「・・・限られた命の時間をいかに充実して生きるかが大事なことだ」
「誰もが持っている自分自身の砂時計。それを感じる感じないかで、日々の時間の使い方が変わる。命の砂時計は、もう、ひっくり返すことは出来ないものね」
こうしている間も砂時計の砂が落ちていますか?
昔は「未来の為に」「未来が充実するように」と、目の前に、心の隅に未来がありました。
しかし最近、未来よりも「今日を充実」「今を充実」と、今を大切にしようと思うようになってきました。
石川啄木さん「砂」の歌が多いですね。
それも悲しい歌が。
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず
大海にむかひて一人 七八日 泣きなむとすと家を出でにき
いたく錆びしピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて掘りてありしに
ひと夜さに嵐来りて築きたる この砂山は 何の墓ぞも
砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日
砂山の裾によこたはる流木に あたり見まはし 物言ひてみる
いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ
しっとりと なみだを吸へる砂の玉 なみだは重きものにしあるかな
大という字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり

       12月4日(水)晴れ
        あの雲の峰は「風立ちぬ」のポスター?
九十九里浜に面しているC村に行ってきました。
昼食をとって午後1時ちょい前。
自宅に帰るため車を走らせました。
ポカポカ陽気です。
お腹は満腹。
眠気が襲ってきます。
「ワアー眠い、眠い・・・」大声で叫びます。
頬をたたいたり、窓を開けてみました。
効果がありません。
九十九里浜の風に吹かれたら目が覚めるかも・・・。
南下しないで、東方角の九十九里浜に向かって車を走らせました。
ヒャー スゴイ雲。
イメージ 2
 
美しい。
夏の雲ですねー。
あれ、どっかで見た雲?
どこで、どこで・・・見たんだっけ?
なかなか浮かんできません。
・・・そうだ、宮崎駿監督「風立ちぬ」のポスターの雲です。
イメージ 3
車で5分も走ると九十九里浜、先日訪ねたばかりの一宮海岸に着きました。
外に出て、カメラでパチリ、パチリ。
寒くもなく、さわやかな風が吹いています。
潮の香が漂っています。
「九十九里浜」の名に違わず、地平線ははるか彼方です。
水平線には「風立ちぬ」と同じ雲の峰が空高くわきあがっています。
「風立ちぬ」観たい、観たいと思いながらまだ観ていません。
「風立ちぬ」だけでなく、「少年H」も観たいと思いながら観ていません。
劇場映画、何年前に観たままでしょうか、長い間観ていません。
テレビドラマも観ていません。
熱中して観た朝ドラ「あまちゃん」の後の朝ドラも、最近観ていません。
今、楽しみなドラマはNHK「八重の桜」くらいです。
イメージ 1
九十九里浜の風に吹かれ「風立ちぬ」に似た雲の峰を見ていたら眠気も吹っ飛びました。
 

       11月6日(水)晴れ
      口ずさむ 拓郎の歌 ススキの穂
午前中は肌寒く感じましたが、午後は暑くなりました。
清水川に沿って郵便局へ。
郵便局から清水川に沿って海岸へ。
実にさわやかな日和です。
イメージ 1
「ススキと萱(かや)、同じって、知っていた?」
「知らなかったの?」
「今まで、ススキはススキ、萱はカヤで、違う植物と思っていた・・・」
「何も知らないんだなー」
「萱屋根と言うが、ススキ屋根って言わないねー。なぜ?」
「うーん。ススキの屋根でなく・・・萱の屋根だから・・・」
「・・・」
無知なワイフと清水川にはえるススキを見ながらの会話です。
川面に高層マンション、ススキ、遊月橋・・・が映って情趣いっぱいです。
そこで、例によって俳句をひねりました。
・ススキの穂 網代の海に 風となる
・ススキの穂 遊月の橋  鯉群れる
イメージ 2
・ススキの穂 眩しき光 降り注ぐ
・ススキゆれ 網代の浜の 秋深む
・河口へと 流れる水に ススキの穂
・ススキ穂を 手折り海風 持ち歩く
・口ずさむ 拓郎の歌 ススキの穂
・ススキの穂 幼い頃の 匂いする
・トドロキの 山は遠くに ススキの穂
・ススキの穂 たおして海の 風きたる
イメージ 3
吉田拓郎の歌「旅の宿」でしたけ?
♪浴衣な君は すすきのカンザシ
 熱燗トックリの首 つまんで
・・・・ああ、風流だなんて 
一つ俳句でも ひねって
・・・・・・
「俳句をひねる」って好きな言葉です。
今日気がつきました。
拓郎さんの「旅の宿」の「一つ俳句でも ひねって」から来ていることを。
吉田拓郎さんの歌、詩がすごく良いですね。
この歳になって、ますます好きになっています。
 
 
 

       5月15日(水)晴れ
       ジャガイモの花と石川啄木
ジャガイモの花が咲き出しました。イメージ 1
しかし、例年より花の数が少ないように思えます。
例年はジャガイモ畑一面が紫色の花に覆われるのに、なぜか花の数が少ない。
あれー、へんです。
ダンシャクは花が咲いていません。
1個も咲いていません。
ダンシャクって、花が咲かなかったけ?
それとも、まだ時期が早いのかナー。
メークイーンとキタアカリは花が咲いています。
毎年、思うのですが、ジャガイモの花って美しい。
もしかして、美しいと思うのは石川啄木の歌のせいかもしれません。
   馬鈴薯のうす紫の花に降る
   雨を思へり
   都の雨に
            (歌集『一握の砂』)
場所は東京、季節は初夏。
朝から雨がシトシト降っています。イメージ 2
一仕事終わって、コーヒーを片手に、窓ガラスから外をぼんやり眺めています。
雨が家々の屋根を、道路・・・をぬらしています。
東京の雨を見ていると故郷岩手を思い出します。
(岩手ではなく、北海道という説もあるそうです。)
ちょうど今頃は、畑一面にうす紫色のジャガイモの花が咲いていることでしょう。
あの、可憐なうす紫色の花が故郷の初夏の雨にぬれていることだろうなー。(注釈:定年おっさん)
もう一首あります。
   馬鈴薯の花咲く頃と
   なれりけり
   君もこの花を好きたまふらむ 

                                           (歌集『一握の砂』)
君が誰だか気になりますね。
啄木の北海道での最初の勤務地は函館。
弥生尋常小学校の代用教員を務めました。
そこで橘智恵子さんという女性を知り、淡い恋心を抱きます。
しかしこの恋は、橘さんの結婚によって消えてしまいます。
彼女を忘れがたく、ずっと引きずっていたようです。
 
「一握の砂」もう一度読み返そうかな、時間もたっぷりあることだし。
それにしても、今年はジャガイモの花が少ないのが気になります。
 

↑このページのトップヘ