じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

タグ:経済学

      3月21日(木)晴れ
      代掻きの終わった田んぼが美しい
西高東低の冬型の天気にもどりました。イメージ 1
天気は良いのに、冷たい風が朝から吹いています。
気温は昨日より7度も低いそうです。
 
0町に用事ができ、行ってきました。
道路沿いの田んぼは「田起こし」と「代掻(しろか)き」が真っ最中です。
「米作りで一番大切なのが田起こしと代掻きだ」という、専業農家の人の言葉を思い出しました。
「土を細かくくだき、ていねいにかき混ぜなければいい田んぼにならない。いいかげんにやると田んぼがデコボコになるし、雑草ははえる。時には田んぼの水漏れをおこす時もある。めんどうでも、ていねいにやらなくてはいけない・・・」
米作りの経験はないが、田起こしも代掻きも大事な仕事だそうです。
「今はトラクターがあるからあるから便利になった。昔は大変だった。牛を使って田起こしや代掻きをやったこともあった・・・それを思うと楽だ・・・」と年配者。
これから、田んぼが落ち着くまで数日かかり、その後「田植え」だそうです。
代掻き後の田んぼは広く感じます。
晴れていると山や空の雲が田んぼに映り美しい景色を見せてくれます。
畦道に菜の花一群でもあれば、また一段と映えます。
今日は菜の花が映る田んぼは見えませんでした。しかしこれから黄色い菜の花、新緑の山、白い雲・・・桜・ツバメ・・・を映す田んぼにお目にかかれると思います。
ドライブが楽しみです。
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    1月14日(月)雨
    『西畑歳時記』ができあがりました
やっとできあがりました。イメージ 1
『西畑歳時記』鈴木正雄著 (夷隅民話の会発行 72ページ)が。
昨年の11月に完成予定だったんですが、何だかんだで2か月も遅れました。
名前の通り「西畑地区」の「歳時記」です。
1月から12月までの西畑地区の行事や風習です。
鈴木さんは94歳。
今では、忘れられてしまったも行事や風習が多いです。
そのため、とても貴重なものです。
いくつか紹介します。
 
一月七日 松納
 この日に、松飾りは全部取り払った。そして、全て集めて燃やし、その灰は家の周囲に撒いた。これは、悪いものが家の中に入らないようにとの呪いと言われた。ただ、歳神様のお飾りは燃やさずに残しておき、四月に種撒きをした苗代の水の取り入れ口に田神様として祭られ立派な苗ができるように祈りを込めた。
 子どもたちは親を見イメージ 2倣って山躑躅の花を供えたりなどした。ただ、山吹は実がならないというので、決して供えることはなかった。
 
七日 山神講
 山神講は、一月七日と十二月七日の年二回行われる。この日はどんな都合があっても一切山に入ることは禁じられている。昔ある人がこの禁を犯して炭焼きに山に入り、大怪我をした等と言い伝えられていた。
 この日は、普段山仕事をしない家の主人達もその日の当番の家に午後から集まり、ご本尊を下げお灯明やお線香と手作りの料理と榊を供え、みんなでお経を読み、これから始まる一年の山仕事の安全を祈念した。
 山神は神様なのに日蓮宗のお題目を挙げる。一見不思議に感じるが、仏教の伝来に際し、それまであった神様と争いごとを起こすことなく、神仏習合の慣行ができ一切の混乱を起こさなかったのは、聖徳太子の優れた指導の賜物であると言われている。お題目が終わると酒宴が始まるが、この席での話題はほとんど山に関することで、製炭、薪つくり、伐採、植林や製品の搬出や販売等の経験談やこれからの計画等であって山仕事の経験をの少ない若い人たちにとっては、良い研修会でもあった。イメージ 3
 
三学期
 小学校は、八日が三学期始めと定められていた。三学期は学年の最後の学期である。寒さの一番厳しい時季であったが、教室には暖房設備等は一切なく、板の間の教室は非常に寒かった。スリッパは誰も持っている者はなく、藁で編んだ草履を使った者もいたが少数であった。
 古い校舎では、板の間やガラス戸の隙間から風が吹き込んでくることもあり、鉛筆を持つ手も悴んで手を擦った。休憩時間は日当たりのいい窓下で押しくらまんじゅう等して体をあたためた。
 ただ一つ昼食のお弁当だけは簡単な保温箱があり、炭火の小火鉢を入れてあったが、四十数人の弁当箱を入れるには足りない時もあった。上段の方に入れるとほとんど温まらず冷たくない程度であり、一番下に入れると相当に熱くなり、お昼近くになるといろいろのなおかずの匂いが教室に漂ってくることもあった。その頃のおかずといえば、ほとんどが日の丸弁当と言って弁当箱の真ん中に梅干しを入れ、端の方に沢庵や味噌漬けをいれてあるものが多かった。
 
利便性と合理的生活重視な現代です。
また、ずっとそれを追い求めて来た日本人です。
しかし、自然に畏敬の念を抱き、四季の変化とともに生活した暮らしがあったことを教えてくれる冊子です。
「夷隅民話の会」の会員で文をパソコンで打ち、印刷し、製本を印刷屋さんに依頼し67冊作りました。
鈴木さん完成が遅くなり申し訳ありませんでした。
それにしても、こうして形になることは嬉しいことです。
 
 

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