じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

タグ:軍事

相変わらずバカなおっさん達です
8月27日(木)曇り

今、参議院で審議されている「安全保障関連法案」、時々話題になります。
「集団的自衛権は憲法違反だよなあー」
「でもさー、韓国や中国の日本への圧力、このところスゴイよなあー。尖閣問題、日本海の油田開発といい・・・」
「アメリカと手を組んで集団的自衛権発揮することって、他国からの侵略に対する抑止力になるんじゃない」
「だめだめ、抑止力になんかならないよ。反対に戦争に巻き込まれるだけだよ」
「じゃあ、憲法九条を掲げていれば大丈夫なの」
「そうとは言わないけど、侵略してくれば戦えばいいのであって、アメリカの言いなりになって戦争に加わってはいけないと言うのだ」
「でも、大国中国が攻めてきたら日本なんて負けちゃうだろう」
「・・・うん、今の日本はあの軍事大国中国には負けちゃうよなあー」
「だから、アメリカと手を組む集団的自衛権は中国からの抑止力になるだろう」
「アメリカと手を組むことが抑止力になる、という考えは間違っているよ。・・・アメリカと一緒に戦えば必ず日本は報復されるよ」
「そうか、報復か?」
「そうさ、敵国だって最初にアメリカと戦わないで、小国日本をまず落とすさ」
「・・・」
「だから、集団的自衛権はだめだよ。・・・抑止力にはならないよ、集団的自衛権を行使したら敵国はもっと、もっと軍事を力を強化してくるよ。第二次大戦で経験済みなのに・・・」
「・・・そうだよなあ・・・。敵が軍備を増強すれば、さらに増強する・・・イタチごっこだよ・・・そうして核開発がどんどん進む・・・そしてバカな国が核を使って地球が滅ぶ」
「・・・やっぱり、そうか?・・じゃあどうすれば・・・」
「今まで通り憲法第9条を掲げればいいんだ。・・・やがて日本だけじゃなくて世界の国が戦争放棄を憲法にうたえば・・・少し理想的かな」
「うん、理想を語らなくちゃなあー」
「理想や夢を語る、相変わらずバカなおっさん達だねえー」
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庭の柿が大きくなってきました。


     6月8日(月)晴れ
     Mさんの防空壕生活 そして終戦
朝から暑い。イメージ 1
いつもなら、海からの涼しい風が吹いているのに、今朝の海風は弱い。
そのせいで、暑く感じます。
ラジオ体操も、日陰に入る人が続出です。
先日、国民学校の修了証書を見せてくださった昭和9年生まれのMさんが、戦時中の思い出を便せんに書いて来てくださいました。
昭和20年終戦の夏の思い出です。
「町に出ると米兵がジープで女の子達を連れて行く」と書かれています。
こんな噂が流れたようです。
日本軍は米軍の本土上陸は、九十九里浜からと予想していたようです。
そこで、外房一帯にこのような噂が流れたのでしょうか?
 
         半月ほどの防空壕生活
    ~昭和二十年国民学校五年生の思い出~
                             M A子
 昭和二十年国民学校五年生の夏休みのことを書いてみます。
太平洋戦争も激しくなり、田舎にも空襲警報、警戒警報のサイレンがなるようになりました。
  家の庭にも防空壕はありました。しかし、親とすれば安全な場所と思って、山を持っていたのでその麓へ親戚二軒で防空壕を手作業で岩を砕き、洞窟をつくり、子ども四人こごんで入れる防空壕を造りました。
 父親は掘っ建て小屋を造り、交代で小屋に泊まって事故のないように見張っていました。私達四人姉妹(従妹二人)は毎晩穴の中に入り、敷き放しの布団に寝ていました。毎朝三食分の食事は姉が春負籠に入れて一時間かけて家から運びました。
 山から冷たい水が出ていたので、味噌汁を作ったりお湯を沸かしたりして飲んだり、冷たい水で身体をふいたりずいぶん助かりました。縄文時代の生活のようでした。その時は、生きていくことで精一杯で考えてもいなかったことですが、今思えばゾッとします。
 夏の真最中、蛇や毒虫その他いろいろな害虫がいました。空は樹木の枝葉で見えず、従姉が同級生だったので昼間は唄を歌ったり、小屋の中でお手玉やコックリさんをやっていました。夜は豪の中で寝るだけです。着物は国防色ですが暑さはあまり感じなかったと思います。
 何日くらい過ぎたかは定かではありませんが、姉が
「戦争に負けた」
と大声で怒鳴っていました。びっくりするやら泣き出すやら、大騒ぎでした。これで家へ帰れると喜んでいました。でも、帰れなかったです。
「町に出ると米兵がジープで女の子達を連れて行く」
という噂が流れていたので、また数日間山小屋生活でした。
 便所は小さな小屋を建て、中に甕を半分土に埋め、橋桁をわたして用をたしました。甕いっぱいになると、穴を掘り柄杓で汲んで埋めました。
 明かりはランプ、ロウソクでした。
 半月ほどの山小屋、防空豪生活でしたが、忘れられない思い出です。皆、病気もせず、虫に刺されながらの生活でした。

このように昔の生活を書いてもらっています。
今となっては、とっても貴重な資料です。
 
  

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