じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

タグ:鉄道、列車

7月27日(月)晴れ
私(わたくし)史上初体験の「JR一筆書きの旅」

「JR一筆書きの旅」という旅があるのを知ったのは1年前。
いつかやってみようと思っていたが、忘れていました。
昨夜、また思い出しました。
動機は読書。
『野心のすすめ』林真理子著を読んでいました。
題名の通り、人間は野心(目標)を持たなければ進歩しないというのが要旨。
飛行機乗車の経験が次のように述べられていました。
「一生エコノミーの人は絶対にファーストクラスの座席を目にすることはありませんが、一度でもビジネスに乗るとファーストの世界をいやがおうでも目にしてしまうのです。人の生き方も同様です。ずっと三流のままであれば、一流の世界を覗くことさえできない。」
ひゃー、ショック。
定年おっさん飛行機に乗った経験さえ数回、それもエコノミーだけなのに・・・。
「俺の人生、やはり三流だよなあー」、と腹も立つことなく素直に読み過ごしました。
読み進めて行きますが、どうも飛行機乗車のくだりがひっかかります。
飛行機の旅も新幹線の旅もままならない、定年おっさんです。
でも三流人生も良いぞ・・・真理子さんとは対照的な「JR一筆書きの旅」を思い出しました。
以前から一筆旅のデビューは千葉県一周と決めていました。

今朝ザックにカメラ、ペットボトルのお茶、本と筆記用具を入れて準備完了。
隣駅の大原駅へ。
電車に乗るなり通勤のIさんにバッタリ。
「どこへ?」
「・・・いつもこの電車なの」
「そうなんです。途中からすごく混むんですよ・・・夏休みで学生さんが少ないが・・・」
話題を変えようとしたが「どこへ、今日は何があるの?」
現役バリバリのサラリーウーマン。
朝早くから混雑した電車で勤めに行く人に、「これからJR一筆書きの旅です」とも言い出せず、「内緒です」と返答。
「ますます気になりますねえー」
「ま、今日のブログ見てくださいよ」と、はぐらかしました。
時間帯が通勤。
木更津まではサラリーマンで混雑。
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こんな気ままな旅をしていいのだろうか?
少し後ろめたさが心をよぎります。
木更津を過ぎると乗客は減って、旅人らしい人達が目立ってきました。
何だかホットし、旅の気分満杯です。
四人の少年がはしゃいでいます。
「どちらから」
「東京からです」
「何年生?」
「中学一年です」
「ひょっとして、一筆書き?」
「ああ、そうです、そうです。・・・これから外房・銚子を回って・・・」
「何時頃帰るの」
「夕方6時ころに着く予定です」
同じ旅をしている人がいる。
この旅ってヒョッとして違法かも?と思っていたので、ひと安心。
外房の景色は見慣れているが内房は新鮮。
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本を読もうと思っていたが、景色に見とれ読書はできませんでした。
尻や腰が痛くなるかと思ったがそれもない。
快適、快適。
何と言ってもエアコンが効いていて快適です。
飛行機や新幹線の旅も良いでしょうが、鈍行電車の旅も最高。
次は千葉県を脱出し関東地方に挑戦します。
今日の行程
大原駅発6:23~ 一宮駅6:40 6:44~蘇我駅7:23 7:33~木更津駅8:08
8:28 館山9:38 10:13 安房鴨川10:54 10:57 御宿駅着11:40頃
私(わたくし)史上初体験の「JR一筆書きの旅」でした。
「列車時刻表」ありがとうございました。
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「夏はアタマに汗をかく」
何だか心に残る言葉でしたのでパチリ。



      7月26日(金)晴れ
      会津は「八重の桜」が満開です
25日東武鉄道を利用し、浅草(特急8:00)から檜イメージ 1枝岐(ひのえまた)・尾瀬に行ってきました。
今日26日、東京(特急17:00)で帰ってきました。
 
会津に入るとNHK大河ドラマ「八重の桜」が満開です。
野岩線に入り、会津若松行きに乗り換えると、電車の内も外もポスターでいっぱい。
駅を降りると派手なピンクの幟が風にはためいています。
駅の改札口には提灯。
駅の構内には、あの見慣れたポスターが天井まで貼られています。
駅だけではありません、観光地の売店も温泉も、例のポスターが貼ってあります。
NHKって、大河ドラマって凄いんですねー。
会津若松には、鶴ヶ城を中心にお客さんが入っているようです。
「今年は良いですが、ドラマが終わったら、お客さんの足が止まってしまうのが恐いです」
と、すでに来年のことを心配していました。
 
檜枝岐・尾瀬の報告はまた後日します。
とにかく、疲れました。
いつものことながら、歳を感じます。
イメージ 2イメージ 3
 

       10月26日(金)  晴れ
  秘湯を訪ねて檜枝岐・尾瀬方面へイメージ 1
10月24日25日、1泊2日の旅行に行って来た。
年齢60代の男6名の旅だ。
ああ、男の旅ね、「ゴルフ」でしょう、と思われるだろう。
ゴルフではない。
なんと、「紅葉狩り&秘湯の旅」。
 秘湯めぐりの旅に行かない
旅のきっかけはひょんなことから決まった。
今年の4月、会議のあとの懇親会。
座席の近かったWさんが「日本秘湯をめぐるをしよう」という話が出た。
「いいね、あまり知られていない、ひなびた温泉でのんびるする・・・いいね」。
近くにいた5・6人が話にのってきた。イメージ 2
「いいねー。仕事も一段落した・・・これまでの疲れを癒すためにも温泉で日本酒を酌み交わしながら紅葉を愛でる・・・いいね」
こんな会話で盛り上がった。
「秘湯めぐり」の話は、その座を盛り上げるその場限りの話。
正直なところ実現することはないだろうと思っていた。
秘湯めぐり 都合の良い日いつ?
9月上旬。
「秘湯めぐりの打ち合わせをするので、都合の良い日を教えてくれ」との電話。
「ええ、本当に実施するの?あのときの雰囲気のノリじゃなかったの?」
「やりますよ。10月の中旬から下旬の都合の悪い日を教えて・・・」
こんな電話でのやり取りの後に。イメージ 6
「打ち合わせの場所は○○寿司でいい。それともおすすめの店ある?」
・・・「打ち合わせの場所と時間はまた連絡します」。
   秘湯めぐり打ち合わせ
9月12日の夜6時 ○○寿司に6名集合
Wさんが方面・日程表を作成して持参。
自家用車ではなく、列車・バスの旅。
なぜなら、アルコールが入るから。
会員6名がそれぞれ乗車する列車時刻と駅名が記されている。
2日間の細かな企画書が出来上がっている。
Wってこんなにきめ細かい繊細な人だったの?
そして、第1回目なので私のふるさと「奥会津檜枝岐から尾瀬方面」だという。イメージ 3
尾瀬を散策して民宿へ、という行程であった。
少々厳しい日程なので、途中「御池(みいけ)」までで引き返す、という修正1ヵ所のみでWさんの緻密な計画通り決定。
9月17日旅の1週間前、Wから再度日程表が送られて来た。
60代の会員、忘れているだろう、日程表を紛失しているだろうという配慮だろう。
Wのきめ細かさに再度おどろき、感謝。
   9月24日(水)晴れ、雨、雪チラチラ
「紅葉狩り&秘湯めぐり」に出発。
一番早い会員は列車乗車6時30分。
7時09分、上総一ノ宮から快速電車に。
ここで6名全員勢揃い。
通勤客でごった返すのでグリーン車へ。イメージ 4
幹事のWから缶ビール、ピーナツ・チーズが配られ、旅の安全を祈ってまずは一杯。
会員は旅慣れている。
梅酒、焼酎、枝豆、つけもの、落花生・・・まで持参してきたではないか。
12時20分会津高原駅着。
6時間以上もの列車旅。
でもアルコールが入り、話がはずみ長くは感じなかった。
12時30分沼山峠行きのバスに乗り換え山道を進む。
山に入るにしたがい紅葉が美しい。
檜枝岐に近づくころから雨。
「ええ、今日は雨は降らないはずなのに。雨男はだれなんだ?」
14:10分目的地の御池着。
雨が本降り、雨に混じって白いものが・・・雪だ。
これじゃ、どこにも行けないや、休憩所で時間をつぶす。イメージ 5
確かに来た証拠に写真撮影。
14:30分のバスで今夜の宿、民宿「松源」へ。
「尾瀬からの帰りですか」
「沼山峠まで行ったら雪でしてね。バスの運転手さんがこのバスで引き返した方が良いでしょうと言われ帰ってきたんですよ。峠は雪が積もっていますよ」
バスが出発したら雨が止み、日がさしてきた。
「わーきれい。見てみて、あの紅葉・・・白樺の木とモミジいいね・・・」
女4人は紅葉に感激し歓声を上げるが、秘湯をめぐる会6人は感激の表情はあらわさない。時々カメラのシャッターを切るだけ。
途中、「ミニ尾瀬公園」を見学し、4時に民宿へ。
荷物を置いて近くの温泉「ヒュウチの湯」へ。
今回の目的である秘湯に入る。
露天風呂も楽しみ、6時からの夕食。
6人でビール6本、日本酒(いわな酒)1升。
みんな酒に弱くなった。
9時風呂に入る者、布団に入る者、いつの間にか寝入っていた。
  10月25日(木)晴れ
5時30分目がさめ、ウトウトしていると突然「夏の思い出」の音楽。
村の防災無線から、あの「夏の思い出」が高音で流れてきた。
6時だ、朝風呂にヒュウチの湯、民宿の風呂と朝風呂。
7時30分朝食。珍しい茸ご飯。60代というのに、みな食欲旺盛。
8時30分民宿を出立。
檜枝岐村の「歌舞伎の舞台」、「六地蔵」を見学して9時15分のバスに乗車。
会津高原駅近くの風呂に入る予定であったが本日休業で入れず。
11時51分発の快速電車で浅草へ。
15時30分浅草着。
おしりが痛い。
東京駅で新装なった東京駅のライトアップを見学し、19時の特急若潮で帰宅。
背広姿のサラリーマンが駆け足で乗り込んでくる。
「・・・現役サラリーマンは大変だな。我々はこんな優雅な旅してていいの?」
「ああ、いいさ。我々もさんざん働いたんだから・・・」
「そうか、今まで働いたご褒美だよな・・・」
書類の詰まった大きなバッグを持ったサラリーマンを見ながら、夕食の弁当をひろげた。
 

 

         10月10日(水)
   いすみ鉄道西畑駅の「狐原踏切」イメージ 1
大多喜の山間部にあるN中学校に用事ができ、行ってきました。
柿の実が色づきはじめ、畑の畦道は曼珠沙華が満開です。
今年の曼珠沙華の開花期間は例年より長いように感じます。
途中、いすみ鉄道西畑駅に駐車して写真撮りました。
被写体は「狐原踏切」という看板です。
すれちがう人は、「この人何しているの?」という顔して通り過ぎます。
「何か珍しい物でもあるの?」というケゲンな顔しています。
他の人には不思議に思えるでしょうが、私には懐かしい「狐原踏切」です。イメージ 2
「狐原」、地元の人は「きつねっぱら」と言います。
「狐原(きつねっぱら)」、何とあたたかい地名ではありませんか。
おそらく、昔はたくさんの狐がすんでいたのでしょう。
狐は民話の主役。
狐に化かされた話がたくさんあります。
・「いすみ鉄道の前身『木原線』と狐」の話
・「与太郎が狐に化かされて肥溜に落ちる」話
・「狐に化かされた兄の仇を討ち、狐から小判をせしめる人間」の話
・「サツマイモ畑で狐に化かされる娘さん」の話
昔話を思い出しながら写真を撮っているとカンカンカンカン・・・と警笛。
ラッキー、何と幸運なことにムーミン列車が駅に到着するではありませんか。
このチャンスを逃がしてなるものかと、カメラを構えます。イメージ 3
なかなか近くに来ません、望遠にしてしまいました。
ピントが合いません。
列車はどんどん近づいて来ます。
急いで望遠を解除します。
何とかシャッターを押しました。
次の写真をと思い構えますが、シャッターを押せるようになるには少し時間がかかります。
結局走っている写真は2枚しか取れませんでした。
1時間に数本しか走らないのに遭遇するだけで幸運でした。
ムーミン家族が車体に描かれていました。
ところで、なぜいすみ鉄道はムーミンなのでしょうか?
キャラクターが可愛いからでしょうか?
地元にもたくさんの民話があるのに、なぜ民話のキャラクターを作らないのでしょうかね。
今、各町でゆるキャラが流行っているのに。
中央のマネではなくオリジナルがやっぱり良いと思うのですが?
それでは、お客さんが呼べないのでしょうか?
大多喜町のあちこちに紫色の幟が見えます。
NHK大河ドラマに「本多忠勝・忠朝」を取り上げようとしているのです。
ロマンに満ちた活動です。
活動が実るといいですね。
 
 

   7月28日(土)晴れ
         「いすみ鉄道物語」、佐久間さんの紙芝居に感動イメージ 1
「夷隅民話の会」という民話愛好会をつくっている。
今日は、例会。
過日、会員のYさんから「とっても面白く為になる紙芝居があるので会員で見ましょう」という話から、今日の紙芝居が実現した。 
演じる人は大多喜町板谷の佐久間さん。
紙芝居のタイトルは「いすみ道物語」。
内容は、タイトル通り、いすみ鉄道の歴史物語。
最近、テレビで盛んに放映されている「いすみ鉄道」にはこんな歴史があったんだ。
よく調べてくださったことに、感激。
でも、なぜ佐久間さんが?と、思っていたら、元国鉄職員。イメージ 2
なんと最後は「いすみ鉄道」で退職されたという。
納得、納得。文も読み方も、鉄道に対する愛情があふれている。
 
心に残っていることを思いつくままに羅列する。
「いすみ鉄道」の変遷。
・人車軌道(じんしゃきどう)・・・大多喜、大原間の線路を人間の力で押したという。運賃が高くて金持ちしか乗れなかったという。
・レールバス・・・軽油で走り、大勢の人を運ぶことができるようになる。
・木原線となる。蒸気機関車・・・木原線の名の由来は「木更津」と「大原」間を走る予定だったので命名された。
・煙を吐いて走る機関車の雄姿、
・第二次世界大戦時の出征兵を送る写真イメージ 3
・木原線廃止反対運動
・第3セクターへの移転
・線路 菜の花作戦(最初の提案者が佐久間さん)
・社長の民間公募
・運転手の公募などのアイディア経営
絵と写真による12場面の紙芝居。
貴重な資料だ、多くの人に見て欲しい。
それから、元鉄道マン苅米繁幸さん(佐久間さんの先輩)作の「鉄道唱歌 木原線」も傑作だ。
もっと知りたくて、図書館で調べる。
1,(大原)
 黒潮躍る大原を
 出でて渡るは塩田川
 川口青松茂る宿イメージ 4
 真実一路記しとこ
      (略)
5,(新田野)
 田んぼの中を新田野へ
 前のお山は万木城
 昔 土岐氏の居城跡
 今じゃ昔を偲ぶだけ
      (略)
充実した時間を過ごすことができました。
佐久間さんありがとうございました。
 
 
 

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