じいさん晴耕雨読

じいさんの戯言を記録しています。

2012年04月

   4月30日(月)曇りイメージ 1イメージ 2
        惜 春
 
昨日より気温は低いが、今日も暖かい。
もう初夏の陽気だ。
昨日のブログに「初夏」と書いたら、初夏は5月の「立夏」を過ぎてからだという。
ちなみに今年の立夏は5月5日。
4月下旬から5月4日は何と呼んだらいいのか?イメージ 3
晩春、行く春、惜春、暮春・・・かな。
こうして過ぎゆく春を様々なことばで表現する日本語は美しい。
歳を重ねたせいだろうか、日本語が素敵に感じられる。
それと「ゆとり」のせいだろう。
仕事に追われ、春の終わりや夏の始まりなど意識する余裕がなかった。
それが、朝の体操、散歩、農園と自然の中で、ゆったりと生活しているからだろう。
植物の生長や虫や鳥に目を向けるゆとりができたせいだろうか。
ゆとりのせいとも言えないか。                
多忙な人でも、俳句や短歌や詩を書く人は素敵な日本語           楽しませてくれた花々
を使っているよな。
あれほど待ちわびた春も過ぎていく。
今日で4月が終わる。
名残を惜しみながら春を見送ろう。

「惜春」という気分かな。

  4月29日(日)晴れ
            初夏の陽気イメージ 1
今日も朝から晴天。
半袖でちょうど良い。
昼の散歩は御宿海岸へ。
サーファーがいつもの休日よりも多い。
沖にはサーファー、浜辺には家族連れ。
子どもは波打ち際にかけよる。
追いかける若いお父さん。
カメラをかまえるお母さん。
 
ラクダ像の周りはいつものように記念撮影。イメージ 2
若いカップル。
年配のカップル。
杖をつく父親と娘。団体旅行のご一行・・・
ラクダの像と撮影会。
バレーをしている大学生。
身体がじつに良く動く。
「若さだなー」ため息が出る。
 
こいのぼりが泳いでいる。イメージ 4
イメージ 3春は行ってしまったようだ。
きょうは初夏の陽気だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

      4月28日(土)晴れ
      ベトベトさん?イメージ 1
「御宿町の街灯にはラクダに乗った王子様とお姫様がついているんだね」
「そう、童謡『月の沙漠』の発祥の地だから」
「今は街灯がたくさんついて、夜も怖くないよね」
「どう、昔まだ街灯が少なかった時、怖くなかった?」
「ああ、怖かった」
「お堂やお墓なんかあったら、背筋が凍ったよ」
「走り出したいが、走り出したら後ろからオバケが追っかけて来るような気がして」
「ああ、わかる。わかる。走り出すと追いかけられそうになったこと」
 
「急いで歩くと、後ろから足音が聞こえてこなかった?」
「やっぱり。ペタ、ペタ、ペタ・・・という音が聞こえたよな」
「だれか後ろからついてくる。でもふりかえるとオバケに襲われそうで。ふり返らずに、ただ黙々と歩いたこと、あったよな」
「あれって、一体何だったんだろう?」
「あの、後ろからついてくるオバケが最近いないよな」
「やっぱり、街灯がついて明るくなるとオバケもすみにくいのかな」
「あのオバケの名前知っている?」
「知らない」
「あのオバケ、『ベトベトさん」と、言うんだって」
 「『ベトベトさん』?少しも怖くない名前だけどね。オバケの名前なの」
「そう、ベトベトさん、と言うんだって・・・」
 
『月の沙漠』の街灯から、少年の日に帰ってオバケの話に夢中になっていた。
楽しかった。61歳の春です。

    4月27日(金)雨
         日本三代海女の町

 「御宿駅のホームにある銅像、あれって何ですか?」イメージ 1
「ホームに銅像なんかあったけ」
「あるよ。大原よりのホームの端に。石の上に腰かけた女の人」
 御宿駅に降りた東京の友人が駅のホームにあるという銅像に興味を持ったようだ。
 
御宿は童謡「月の沙漠」の歌われた舞台、400年前御宿沖で座礁した船の乗組員を救助した「日西墨三国交通発祥の地」有名だ。
そしてもう一つ有名なこと、「日本三大海女の町」。
でも、かつて有名な海女の町であったことを知る人も少なくなってきたようだ。
ホームに建つ海女の銅像。
短い着物は「半トウロク」、パンツは「磯パン」、頭に水眼鏡、手に樽を持って石に腰かけている。
御宿は輪島、志摩とならぶ日本三大海女の町と呼ばれた時代があったという。
昭和四十年代には海女の町をアピールする歌がつくられ、さかんに唄われたという。
♪ あだし人魚よ 七尋八尋(ななひろやひろ)
  姿いとしや 紺がすり
  忘れられよか 忘れてなろか
  夢の御宿 海女の町 海女の町
                   (作詞・古谷怜児 作曲・八州秀章)
 
「海女の町」談義に花がさいた。
 

 

             4月26日(木)雨
                   心に焼き付いている「おらが海 大原 船方日記」
昨日25日の午後、友人から電話が入る。イメージ 1
「いいぞ、すごくいいぞ。これは見なくては・・・」
いすみ市「水彩ギャラリー」で行われている写真展への誘い、2度目の電話。
そんなに良いのか、じゃあ行ってみようと思い。25日午後1時に会場へ。
会場に入るなり、写真が飛び込んできた。
日焼けした漁師、収穫の笑顔、海の青に白い波、力強く網をうつ一瞬を撮った写真・・・。
電話の通りこりゃすごい迫力だ。
写真展は「おらが海 大原 船方日記」と題した、大原漁港の日常風景。
撮影は千葉読売写真クラブ会員の田中和子さん。女性だ。イメージ 2
「他人に感動をあたえる一瞬を切り撮る感性はどこから来るんだ」、考えながら見
て回った。
飯田さんという写真家が解説してくれた。
「彼女は子どもの時から岩手で漁師町で育ち、海の厳しさや優しさを知っているんです。心に刻み込まれているんですよ・・・。男達の漁船に乗り込んで撮影するんです。漁業の喜び、漁師の心がわかるんですよ。漁師達も彼女に心を開いているんです。そうでなければ、あんな素晴らしい笑顔の漁師達撮れませんよ・・・。あの一瞬を撮れませんよ」と。
東日本大震災で甚大な被害を被った岩手県山田町出身。
見ている間にも、被写体となった漁師さんや家族、地域の人達が次々に来場。
「写真の方がいい男に撮れているよ」「この笑顔がいいね」と、なごやかな会話が飛び交う。
見に来て良かった。
船から力強く投げ込む網、青い海原にたつ白い波が心に焼き付いている。
イメージ 3
 
 
                               
                                         

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