9月27日(木)
「百日草 がんこにがんこに 住んでいる」

「百日草 がんこにがんこに 住んでいる」
夏が終わると花壇も寂しくなってきた。
「秋の桜」、コスモスが私の出番だとばかりににぎやかに咲いているが、おおかた枯れてしまった。
「秋の桜」、コスモスが私の出番だとばかりににぎやかに咲いているが、おおかた枯れてしまった。
そんな中で、百日草が元気。
花の時期は百日以上になる。
なるほど、名前にふさわしい花だ。
花の時期は百日以上になる。
なるほど、名前にふさわしい花だ。
今年初めて、種をまいて育てた。
種の袋を見たときは色鮮やかで華やかに感じて購入した。
ところが咲いてみると、花の色は少しくすんでいる。
陽が当たっても、くすんで、鮮明さに欠ける。
色も形も地味な花だ。
日本古来の花にちがいない、と勝手に決めつけていた。
ところが、メキシコ原産だという。
「太陽の国とくすんだ地味な花びらがメキシコと結びつかないねー」と言うと、
「夏の暑い日でも咲き続ける。メキシコらしいではないか?」と言う。
種の袋を見たときは色鮮やかで華やかに感じて購入した。
ところが咲いてみると、花の色は少しくすんでいる。
陽が当たっても、くすんで、鮮明さに欠ける。
色も形も地味な花だ。
日本古来の花にちがいない、と勝手に決めつけていた。
ところが、メキシコ原産だという。
「太陽の国とくすんだ地味な花びらがメキシコと結びつかないねー」と言うと、
「夏の暑い日でも咲き続ける。メキシコらしいではないか?」と言う。
さらに、こんな句があることを教えてくれた。
「百日草 がんこにがんこに 住んでいる」
「これでもか、これでもかと、がんこにがんこに咲き続けているのが百日草なんだ。作者の名前はわすれたが・・・」
「がんこに住んでいるのは誰だと思う?」と、質問してきた。
「百日草でしょう。花の時期が長いことを頑固に住んでるって、花を擬人化したじゃないの?」
「そう解釈するか。擬人化か。・・・それで住んでいるという表現か?」
「がんこに住んでいるのは、この百日草を育てている主人だ?おれはそう解釈したけどな」
「百日草 がんこにがんこに 住んでいる」
「これでもか、これでもかと、がんこにがんこに咲き続けているのが百日草なんだ。作者の名前はわすれたが・・・」

「がんこに住んでいるのは誰だと思う?」と、質問してきた。
「百日草でしょう。花の時期が長いことを頑固に住んでるって、花を擬人化したじゃないの?」
「そう解釈するか。擬人化か。・・・それで住んでいるという表現か?」
「がんこに住んでいるのは、この百日草を育てている主人だ?おれはそう解釈したけどな」
そうか、がんこに住んでいるのは花を育てている人間か?
「百日草 がんこにがんこに 住んでいる」
もう一度ゆっくりくりかえして口ずさんだ。
うん、なるほど・・・。
暑い夏の間、がんこにがんこに水をやる、融通のきかないオヤジの姿が浮かんできた。
もう一度ゆっくりくりかえして口ずさんだ。
うん、なるほど・・・。
暑い夏の間、がんこにがんこに水をやる、融通のきかないオヤジの姿が浮かんできた。
インターネットで調べたら作者は坪内稔典(つぼうちとしのり・1944年~大学教授)でした。