熊本地震に『方丈記』を思い出しました
4月15日(金)晴れ
昨夜21時26分ころ、熊本県で大地震というニュースが流れました。
その後も余震のニュースがひっきりなし。
今朝からどのチャンネルも番組を変更して地震のニュースばかりです。
亀裂の入った道路、倒壊した家屋、メチャメチャになった室内・・・悲惨な現状に泣き悲しむ人々。
今日の空は真っ青に晴れピカピカ天気なのに、暗いニュースです。
社会も時代も自然も人間も・・・無常です。
誰がこんな悲惨な状況を想像したでしょうか。
昨日と同じ平穏な日々を思っていたでしょう。
鴨長明の『方丈記』を思い出しました。、読み返しました。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
本を取り出し読み返しました。
「元禄の地震」の部分を現代語で。
・・・・・・山はくずれ、河を埋め、海は傾きて陸地をひたす。土はさけて、水わき出て、巌(いわを)割れて谷にころげこむ。船は波にただよう。
都の近辺では、神社、寺、塔など、完全なものはない。・・・塵、灰、立ちのぼり、盛んな煙のようだ。地の動き、家がやぶれる音、雷のようである。家の内におれば、押しつぶされ、外に出れば、地が割ける。羽がないので飛ぶことができない。龍ならば雲にも乗れただろうに。
恐るべきなかの恐るべきは、ただ地震であると感じる。
猛烈な地面の揺れは、しばらくやんでいたが、余震はしばらく絶えなかった。普通に驚くくらいの地震が1日に20~30回、10日~20日を過ぎると、やっと間遠くなり、4、5回から2、3回、または1日おき、2、3日に1回、だいたい余震は3ヶ月ぐらいだったでしょうか。
宇宙を構成する四大要素のなかで水・火・風からは常に災害を受けるが、大地は特別な異変は起こさない、とされているのに、昔、奈良東大寺の大仏の首が落ちたとのことだが、その地震も今度の地震のひどさには及ばないだろう。
地震のあった当時は、人は皆、この世はつまらぬものだと語り合って、人の欲望、煩悩が薄らいだかに見えていたが、月日がたち、何年かがすぎるとその後は誰ひとり口に出す人さえない。
5年前の東日本大震災の記憶が薄らいできています。
昨夜の熊本地震は地震の恐ろしさを「忘れるなよ」という警告なのでしょうか?
「人生の無常、人のはかなさ・愚かさを忘れるなよ」という神様の警告のよう思えてなりません。
震災お見舞い申し上げます。